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UEMOT PLANnING & DesiGN OFFice |
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ここに紹介する試合は文字を書いているだけでその試合の雰囲気、スコアはもちろん、誰から誰へパスが渡って点が入ったかもだいたい覚えているような超A級の珠玉のような試合ばかりです。 |
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◆W杯西ドイツ大会2次リーグ オランダ2−0ブラジル |
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(1974.7.3) この試合はリアルタイムではなく、ずっと後になってテレビで見た。決勝はリアルタイムで見ていたので、それよりも内容的には上だといわれるこの試合にすごく興味を持っていた。 ディフェンディングチャンピオンのブラジルと優勝候補のオランダの対戦だけど、結果は2−0でオランダの快勝。この試合に限っては、オランダのモダンサッカーがブラジルの個人技を圧倒した。1点目はクライフからニースケンスへピンポイントパス。それをニースケンスが引っかけるようにゲット。ほんのわずかのスペースも彼らは逃さない。圧巻だったのは、2点目。中盤でリスタートした瞬間、ブラジルチームには一瞬のスキがあった。中央へクライフが全速力で駆け上がる。ブラジルバックがあわてて対処するが、間に合わない。左サイドをご駆け上がったクロルからのセンタリングをものの見事にジャンピングボレーで決めた。 この得点は自分の中での最も好きなゴールといえるかもしれない。アクロバチックな得点シーンはいくらでもある。でも、シンプルな美しさという点ではこの点にまさるものはないと思う。チャンスを見抜く抜群の嗅覚。糸を引くような美しいセンタリング。ボールが来る前にほとんどの勝負がついていて、後はゴールへ蹴り込むだけのシンプルさ。このシーンのリプレイは今までに何十回となく見たけれど、いつ見てもほれぼれするような美しさだ。(1999/06記) |
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◆W杯西ドイツ大会決勝 西ドイツ2−1オランダ |
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(1974.7.7 ミュンヘン、オリンピックスタジアム) 僕の人生を変えてしまった試合。小学校6年生の時だった。当時の東京12チャンネルが初めてW杯を生中継したのがこの試合である。 小学校6年生に何がそれほど強いインパクトを与えたかというと、ゴールという目標がありながらグラウンドで展開される選手とボールの動きがどう見ても遊んでいるようにしか見えなくて、それまでには全く見たこともない動きをしていたからだ。W杯の決勝と草サッカーが全く変わらないということが直感的に感じとれた試合である。スポーツという目的的であるはずの行為が全く目的的でないかのごとく展開されていく。ボールがフィールドの中をぐるぐると巡っていく。ゆっくりと、ゆっくりと。そして、突然事件は発生する。そのリズムと時間感覚はかつて全く味わったことがない種類のもので、たった一試合でその魅力にすっかりハマり込んでしまったのだ。 こんなに素晴らしい世界が世の中にはあるんだ。サッカーという新しいスポーツを知ったことも大きかったけど、それ以上に価値観の転倒を初めて味わったということが自分にとっては大きかった。それも単なるスポーツの試合によって。大げさに言えば世界を知るすべをこの試合で発見したというか、世界とはこんなもんだということを何となくリアルにイメージできたというか、それくらいの衝撃だった。自分自身に「これだ」と思えるものがそこにはあったのだ。 試合はオランダのキックオフで始まった。西ドイツが全くボールをさわることができないまま、オランダは前へ後ろへ横へとボールを回していく。すると突然クライフが急所をつくようなドリブル。完璧な網をしいていたはずのドイツ守備陣は明らかに混乱し、ペナルティーエリアの中でクライフをひっかけてしまう。ニースケンスがこのPKを豪快にゴールのど真ん中に蹴り込んだ。もちろんキーパーが動くことを予想してのこと。でもこれはかなり勇気がいる。全くなすすべなく一点が入ったので、多くの人がこれは一方的な展開になると予想したに違いない。当時の僕はサッカーを全く知らない人間だったのでそんなことすら考える余裕すらなかったけれど・・・。 ところが、一点入ったのがかえって幸いしたのか、観衆の声援をバックにして西ドイツは次第に落ち着きを取り戻していく。前半半ば過ぎこんどはヘルツェンバインが倒される。これは今で言えばいわゆるダイブであって、それを後で本人が認めて物議をかもしたシーンだ。キッカーのブライトナーはニースケンスとは対照的にゴール隅に慎重に蹴り込んだ。決勝点は、ボンバー、ゲルト・ミューラー。ボンホフが右サイドを絶妙のドリブルから切込みセンタリング。それをまるでミストラップのように後ろへコントロールし反転してゴールマウスへ蹴り込んだ。 後半はオランダが猛攻をしかけるが、それも決まらない。次第に、さすがのオランダチームも輝きを失い、単なるパワープレーに終始するようになる。結局、そのままタイムアップとなった。 華麗なオランダではなく、渋い西ドイツの方が勝利した。勝負とはそんなもんだ。試合終了のホイッスルの瞬間、スタンド全面に西ドイツの国旗がはためいて美しかった。でも、人々の心に残り後々まで語り継がれたのは優勝したドイツではなく負けたオランダチームの方である。(1999/06記) |
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◆ヨーロッパチャンピオンズカップ サンテチェンヌ3−0ディナモ・キエフ |
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(197?年 サンテチェンヌ、ジョフロワ・ギシャール競技場) 今ではとても信じられないことだけど、1970年代の海外サッカー唯一の窓口は、TV東京(当時は東京12チャンネル)で週1回放送していた「ダイヤモンド・サッカー」のみだった。この番組はほとんど毎週欠かさず見ていて、素晴らしい試合もたくさんあったのに、なぜだかはっきりと経過をたどれるような試合が全くない。一試合が前後半2週に分かれていたせいもあるけど、所詮外国クラブチーム同士の対戦が自分にとってリアルでなかったせいもあるのだろう。 この試合はダイヤモンド・サッカーではなく、めずらしくTVKで放送されたもの。第一戦を2−0で地元キエフが取った後の第2戦。サンテチェンヌで行われた試合は異様な熱気で包まれていた。とにかくサッカーにおけるホームとアウェーの落差はものすごい。国内リーグなどではそうでもないけれど、国際試合の敵地での試合は密室で袋叩きにあうようなプレッシャーの中で戦わなくてはならない。同じチームが借りてきた猫のように全く別人になってしまう。特に、特に南欧のチームがキエフのような極寒のグラウンドでやらなくてはならない試合は辛そうだ。第一戦がどのような経過をたどったのかは知らない。でも2−0というスコアからなんとなく想像はつく。 この試合の印象が強いのは劇的な展開もさることながら映像の鮮烈な印象によるところが大きい。初めて見るフランスサッカーのテイストは、スタジアムや観衆の反応も含めて当時ダイヤモンド・サッカーの主流だったドイツやイングランドとは全く異なっていた。それが実に新鮮だった。コーナーのところで光る広告塔がくるくるしていたのと、現地アナウンサーがラルケ、ロシュトー、ジャンビオンの3人の名前をひたすら連呼し続けているのがやけに印象的だった。 試合はフランスサッカーの香りが全面にたちこめるワクワクする内容。サンテチェンヌが地元の利を生かして攻めるけど、なかなか点は入らない。チャンスを逃がすたびにオーとかワーとか歓声が上がりスタジアムの一体感がどんどん上がっていく。後半20分過ぎまで無得点。次第にスタジアム全体に少し諦めというかあせりのムードが広がっていく。そういう状況でのFKからのゴール。選手や観客は一気に息をふきかえす。その後は一方的な内容。華麗なパス回しの前にキエフ守備陣はズタズタになり、堰を切ったように2点目、3点目が入った。結局、サンテチェンヌが3−0でこの試合を制し、第一戦を含めたトータルでも3−2の大逆転で勝利した。とにかく観客と一体になって不可能を可能にするその盛り上がりの凄さに圧倒された試合だ。(1999/06記) |
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◆W杯スペイン大会 2次リーグ ブラジル2−3イタリア |
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(1982.7.5 バルセロナ) 日本代表の試合を除いて、今までで最も興奮した試合がこの試合。もし昔のビデオを見たいという人がいても第一におすすめする。展開がめまぐるしく動き、ワンシーンに酔いしれている間もなく次の展開へ移るめくるめく世界。どんなアートでも他のどんなスポーツでもこういう感覚は味わえないと思う。こういう試合にめぐりあうためにサッカーファンやっているようなもんだけど、もちろんこういう試合は滅多にない。でも、その滅多にない瞬間に出会ったときの感動は半端じゃない。 1982年のブラジルチームは成績こそ伴わなかったけど、後々まで語り継がれる素晴らしいチームだ。予選から圧倒的な強さで快進撃。強いというよりもうまい、美しいチームで数試合で世界中のサッカーファンを魅了した。マラドーナ率いるアルゼンチンを3−1と撃破したブラジルの相手は予選から全く調子の上がらないイタリア。誰もが当然ブラジルが勝つだろうと信じていた。しかし、この日のイタリアはそれまでとは別人のようだった。 流れるような美しい選手達の動きとその動きに合わせて繰り出されるパスの数々。ブラジルは組立の美しさで勝負し、イタリアは急所を突く素早い攻撃で対処する。ロッシが先制。ブラジルはソクラテスがジーコからのパスを受けゾフのニアサイドを破る芸術的な得点で応酬する。またもやロッシが相手の軽率なプレーをつき2点目。ブラジルはファルカンが中央から豪快に決め、同点。しかし3度ロッシがゴール前のすばやい動きからゴールをゲット。3−2。 ロッシのハットトリックという幸運と奇跡の前に、完璧な美学と強さを誇っていたブラジルの牙城は崩れ去った。ショックと驚きとでその日は明け方まで一睡もできなかったことを覚えている。 どんなスポーツでも、いや人生なんかにも当てはまるのかもしれないがクライマックスは一瞬にしてやって来る。その瞬間を見逃してはいけないと思う。(1999/06記) |
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◆W杯メキシコ大会 アジア地区最終予選 第一戦 日本1−2韓国 |
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(1985.10.26 東京、国立競技場) 1980年代までは日本のサッカーと世界のサッカーは全く別物だった。オリンピック予選ですら惨敗を繰り返す日本代表チームを見ていると、W杯なんて夢のまた夢だと思っていた。ところが、意外に早くチャンスが巡ってきた。苦戦しながら北朝鮮にどうにか勝った日本は韓国に勝てばW杯初出場というところまでこぎつけていた。これは是非とも現地で見なくては。 代表の試合はそれまで何試合も見ていたけど、このとき初めて真剣勝負の代表の試合を見た。国立競技場は異様な緊張感に包まれていた。6万の大観衆で超満員に膨れ上がるスタンドなんて、当時のサッカーの状況からすると考えられないこと。辛酸をなめていた全国のサッカーファン全員が集結した感じ。ダメかな。でもなんとかしてくれ。奇跡でもいい。会場には悲壮感すら漂っていた。 試合は予想外の善戦。しかし肝心なところではやはり韓国の方が一枚も二枚も上だった。二点先行された後、木村和司の伝説のフリーキックで一点差まで詰め寄るけれど万事休す。ソウルでの第2戦があっても、もうこの時点でほとんど希望の火はついえていた。試合後多くの人が下を向いていた。光が消え、また暗黒の世界に逆戻り。たぶん皆気持ちは同じだったんじゃないかと思う。(1999/06記)
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◆W杯メキシコ大会 準々決勝 フランス1−1ブラジル(PK4−3) |
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(1986.6.21 グアダラハラ、ハリスコスタジアム) マラドーナが大活躍したこの大会。でもチームとしては、アルゼンチンよりもブラジルやフランスの方がはるかに魅力的だった。ブラジルは4年前の魅力的なチームを引き継いだジーコ中心のチーム。フランスは将軍プラティニが率いるチーム。創造力豊かな両チームの対決は期待を裏切らない素晴らしい内容だった。 ブラジルがカレッカの豪快な得点で先制。フランスがプラティニの渋い点で追いつく。全体的にはブラジルが優勢だったけど一進一退の攻防が続く。後半、ブラジルはジーコの絶妙のスルーパスからPKを得る。しかし、頼みのジーコがこれを失敗。延長に入ると両者かなり消耗しノーガードの撃ち合いになる。いつ点が入ってもおかしくない状態だったけど結局ゴールを割ることはできず、PK戦に持ち込まれた。まずブラジルは先頭のソクラテスが失敗。その後は両者決めていく。フランスはなんとプラティニが失敗。ジーコは今度は確実に決めた。しかしブラジルは結局もう一人が失敗し、前回大会同様、準決勝に進むことなく力つきてしまった。 80年代中頃はジーコやプラティニ、マラドーナといった天才的プレーヤーが活躍し、黄金の中盤を形成した時代。中盤のスペースのない今のサッカーとは異なり中盤の組立を重視する時代だったので、パスの美学という点ではこのころの試合の方が今よりもはるかに面白かったと思う。(1999/06記) |
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◆欧州選手権西ドイツ大会 1次リーグ オランダ3−1イングランド |
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(1988.6.12 ケルン) 88年の欧州選手権はオランダが第2期黄金期を迎えていた。フリット、ファンバステン、ライカールト、クーマンの4人を中心とするチームはクライフ、ニースケンスの時代のサッカーをよりモダンな形で進化させたチーム。 スリナム系のフリットは自ら自由人を名乗り、サッカー界のボブ・マレー的存在。実際、レゲエバンドも持っていた。超人的な風貌もさることながら、ドリブルしてるのにボールを持っていない選手を置き去りするほどのスピードとテクニックを持ちあわせていた。相棒のファンバステンはゴールの見本市と呼ばれるぐらいどんな形からでもゴールが決められる職人的な選手。しかも彼のゴールはどれも美しい。 この試合は結局オランダがファンバステンのハットトリックで3−1で勝利する。特に一点目が鮮やかだった。フリットからのパスがやや後ろ気味にきたのを止めつつ即座に反転し、ディフェンダーを完全に置き去りにしてから決めたものだが、ボールだけでなく空間を自由にあやつれるところが並の選手じゃない。僕にとっても彼は最高の選手だ。(1999/06記) |
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◆欧州選手権西ドイツ大会 決勝 オランダ2−0ソ連 |
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(1988.6.25 ミュンヘン、オリンピックスタジアム) この大会のグループリーグ初戦で両者は対戦している。オランダが優勢だったけど、ファンバステンが先発しなかったせいもあってこの時はソ連が1−0で勝っている。オランダにとってはその雪辱をかけた試合。ソ連もいいチームだ。でもいいチームと素晴らしいチームの間にはやはり決定的な差があった。2−0のスコア以上にオランダが一方的に攻めまくった。 1点目はフリットがゴール中央から豪快にたたき込む。そして2点目。ファンバステンの芸術的な得点。逆サイドからのクロスをゴールエリアの外まで膨らみながら、ほとんど角度のない所からボレーでたたき込んだ。その瞬間、観客も実況も一瞬静まり返った。だれもシュートするとは思わなかったし、シュートした瞬間、既にゴールに入っていたから。ダザエフは反応してるのにボールがどこを通ったのかも良くわからなかった。 クライフが切り開いたモダン・サッカーの芽はここで大きな潮流となって花開いた。監督はクライフの時とおなじくリヌス・ミヘルス。この人の存在が大きいことはもちろん言うまでもない。 オランダは似たようなメンバーでイタリアW杯にも出場した。でもこの時は内紛でゴタゴタしており、フリット、ファンバステンの調子もイマイチで早々と敗退したのは残念だった。(1999/06記) |
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◆W杯アメリカ大会 アジア地区最終予選 最終戦 日本2−2イラク |
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(1993.10.28 カタール、ドーハ、アルアリスタジアム) あんまり説明の必要のない試合。この試合を僕は友達宅で見ていた。試合そのものは客観的に見れば負けてもおかしくない内容だったと思う。中山の得点なんて明らかにオフサイドだし、2点をとったということがそもそもラッキーだ。でも、期待させておいてあのシーンとは。センタリングには味方にきちんと合わせる場合ととにかく勘だけで放り込む場合があるけれど、あれは明らかに後者。それなのにFWの頭にドンピシャリ。しかもロスタイムで。不運と言ってもそれが事実である。 例の瞬間、5、6人はいたと思うけど、全員が言葉を失った。テレビ東京の久保田アナウンサーはあり得ないという感じでため息をつきっぱなしだったし、スタジオはまるでお通夜のようだった。あの釜本までが涙ぐんでいたのが印象的だった。どこのチャンネルを回しても女性アナは泣いていた。そういうことってなかなかないと思う。たかだかサッカーの試合なのに。 試合が終わった後、すぐに帰らずにしばらく友人宅にいさせてもらった。とにかく試合後すぐに車を運転して帰れるような精神状態ではなかった。自暴自棄にならないようにこれは自分の人生ではなく、単なるサッカーの試合なのだと盛んに自分に言い聞かせていた。でも、正直言って途方にくれていた。この先また暗黒の4年間を過ごさなくてはならないんだ。そういうのって興味がない人にとってはバカみたいなことにしか聞こえないと思うけど、それが事実なんだから仕方がない。(1999/06記) |
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◆W杯フランス大会 アジア地区最終予選 日本1−2韓国 |
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(1997.9.28 東京、国立競技場) アメリカ大会の予選もかなり盛り上がったけど(結末は悲惨だったけど・・・)、フランス大会の予選はもっと盛り上がったと思う。やっぱり、サッカーの醍醐味はホーム&アウェー方式にある。ホームとアウェーの落差をどうこなすか。これがめちゃくちゃ面白い。今までもホーム&アウェーというのはもちろんあったけど、これだけ注目された状況の中で日本が真剣勝負のホーム&アウェーに挑むのは初めての経験だったと思う。ヨーロッパや南米の人たちが毎週のように経験できるゾクゾク感を初めて体験できるのだからたまらない。 この試合もホーム&アウェー方式の面白さが存分に現れた試合だったと思う。韓国は明らかに日本を警戒していた。途中までは引き分けでもいいという感じでいた。ところが、日本が先制したため、韓国はいやでも攻撃せざるを得なくなった。そこで出た加茂監督の消極的交代。攻めと守りの関係が一気に逆転し、同点にされてしまう。その段階で韓国はしたかかに作戦を切り替えてきた。勝ち点1でなく、アウェーでの勝ち点3を取りに来たのである。作戦はまんまと成功し韓国が敵地で2−1の勝利をおさめてしまう。それで韓国は勢いづき、逆境に慣れていない日本はこの試合以後すっかり混乱してしまう。国際試合の経験の差がもろに現れた試合だった。その辺はもっともっとしたたかにならなきゃダメだ。(1999/06記) |
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◆W杯フランス大会 アジア地区第3代表決定戦 日本3−2イラン |
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(1997.11.16 マレーシア、ジョホールバル、ラーキンスタジアム) 前回大会のイラク戦は友達の家で皆で見たけど、この試合はひとりで見ることにした。試合前から胃が痛くてとても皆で集まって楽しくTV観戦という雰囲気ではなかった。もしこの試合に負けても可能性がなくなるわけではないけれど、オールトラリアのとプレーオフを制することはこの試合に勝つよりもはるかに困難なことに思われた。 とにかくフランス行きを逃せば2002年なんてお笑いの大会になってしまう。一回も予選を突破しないで開催国特権でW杯に出るなんて、試験に合格できないできの悪い学生が裏口入学するのとおんなじだ。そんなことになったら日本人として胸を張って歩くことなど一生できやしない。まさに世界の笑いもの。それだけは絶対に避けて欲しい。とにかくこの試合に勝たないとフランス行きは限りなく遠のいてしまうのだ。 試合は、ご存じのように延長Vゴールで決着がついた。それは不思議なことに過去の自分のどんな個人的な喜びよりも嬉しいと感じられた瞬間だった。自分ではどうにもならないことだから嬉しいというのももちろんある。岡野がゴールを決めた瞬間、思わずTVの前で手をたたいてしまい、それから大粒の涙がこぼれてきた。こんなことで泣くなんてと思ったが、なんかいろんな思いがこみあげてきてしまった。だって、小学校6年の時から23年間も待ちわびてきたことなのだから。こんなことなら友達と一緒に見るんだった。と思った瞬間、I君から電話がかかってきた。2人とも大の男が電話口でおいおい泣いていた。 この試合に限らずフランスW杯のアジア予選は内容的にはともかく、出場権をかけた争いの面白さという点では超一流だったと思う。日本が第3位に転落し、自力出場の可能性が無くなった時、もうダメというような空気につつまれていた。でも、南米やヨーロッパの過去の予選を見ていても、優位に立ったチームがそのまますんなりと勝ち続けることなんてあり得ないことだ。立場が逆転すれば、今度は相手にプレシャーがかかるのだから。必ず後にもう一波乱あると思っていた。 案の定、UAEはホームでの対ウズベキスタン戦だったか絶対優位な試合を引き分けてしまった。UAEの選手達はその瞬間グラウンドにへたり込んでいた。ほんの一週間前は日本での試合をまんまと引き分け、思い通りの展開だったのに。残り1試合を残して日本との立場がここで一気に逆転した。サッカーには優勢勝ちというものはないし、地道なポイントの追加もない。とにかく一点がすべてなのだ。サッカーは点が入らないからつまらないという人がいるが、僕に言わせればそれは逆だ。点が少ないからこそ、優勢勝ちというのがあり得ないからこそサッカーは面白い。 日本はこの試合でせっかく苦労して出場権を得たのに、この後がいけない。ぎりぎりの状況で開き直ったからこそ活路が見いだせたのに、余裕が出来るとすぐそのことを忘れてしまうのは情けない。日本にとってフランスワールドカップは出ることに意義がある大会だ。本大会の成績はおまけだ。初出場のチームにそんな過度の期待ができるわけがない。だったら思いっきり体当たりすればいいのに、岡田監督の続投が決まって、本当につまらない対策をたてはじめたので、ああ、これは本当におまけになってしまうんだなと思っていた。(1999/06記) |
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◆W杯フランス大会 アジア・オセアニアプレーオフ第2戦 |
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(1997.11 メルボルン) 組分けと日程にめぐまれず、日本との決定戦に敗れたイランがあまりにも気の毒だった。イランの実力が高いことは日本戦で良くわかっていた。コンディションが悪かったのにもかかわらず延長戦まで持ち込んだのだから、条件が違ったら日本はきっとやばかったと思う。 テヘランでの第一戦は1対1の引き分け。メルボルンでの第2戦はとんでもない試合となった。プレーオフに備えコンディション調整も対策もバッチリのオーストラリアと長丁場のアジア予選を一週間前まで戦っていたイランとはあまりに条件が違いすぎた。 開始からオーストラリアの一方的な試合となった。とにかくシュートの雨あられというのはこういう試合のことをいうのだろう。でも点は入らない。このような試合では往々にして逆襲から点をくらってしまうことがある。でも、そもそも逆襲がない。イランはハーフウェイラインぐらいまで行くのがやっとで簡単にボールをとられてしまう。半面コートの練習のような状態が延々と続く。だいぶ時間がかかったが前半の中ごろようやくオーストラリアが一点を取る。さらにオーストラリア優勢の状態が続くけどやはりゴールを割ることはできない。次の一点が重要なのは両方同じなので、イランも必死に耐え続ける。しかし、後半早々ついに追加点を許してしまう。2−0となって、ついにイラン万事休すかと思われた。 ところがちょっとした気の緩みから最初のチャンスを決められて1−2になると、なんだか少し雲行きがあやしくなってきた。相変わらずオーストラリア優勢に変わりはないのだけれど、頼れるのはアラーの神だけといった状態の前半に比べイランの方もかすかな希望のかけらは沸いてきたようだった。オーストラリアの方はもしかしたらという不安のようなものが少し頭をかすめてきたのか、なんとなくプレーのリズムがおかしくなってきた。そしてついにこの試合2度目のチャンスをアジジとダエイのコンビにより決められてしまう。またもやほんのちょっとしたミスをついたものだが、その時の2人のFWの集中力はすさまじかった。 すっかり立場は逆転した。アウェーゴール2倍のルールがこのプレーオフには適用されていたからだ。つまり引き分けでもイランは出場権を得ることができる。そうなるとイランの試合巧者ぶりがいかんなく発揮されてくる。時間だけが刻々と過ぎて行く。オーストラリアの元気は全く空回り。時間が経つにつれ焦りからどんどんプレーがおかしくなってゆく。そしてタイムアップ。呆然とグラウンドに座り込むオーストラリアの選手達。静まり返る観衆の中、イランの選手だけがはしゃいでいるのは、一種異様な風景だった。イラン良かったなと思ったけど、オーストラリアも気の毒だった。 この試合オーストラリアのシュート数は少なく見積もっても20本以上。決定的シュートだけでも数限りなくあった。対するイランのシュートは僕の記憶ではわずか3本である。うち2本がゴール。他の一本は苦し紛れに打った全く可能性のないシュートだ。チャンスらしいチャンスは得点に結びついたわずか2回だけだった。でもその両方がゴールとなったのだ。こんなこともあるんだなあと思った。しかもW杯出場をかけた最も大事な試合で。サッカーはやっぱり怖い。不運を嘆いたところで次のチャンスは4年後、しかも強豪がひしめく厳しい予選をまた一から戦いなおさなくてはならないのだ。 フランスW杯出場の最後のチームがここでようやく決定した。日本やイランが戦ってきたような予選は世界中のどこの国でも経験している。アジア予選だからといってなめてはいけない。サッカーはメジャースポーツゆえあなどれる国など一つもないからだ。無名選手ばかり集めた国が有力リーグの選手を集めた国に勝つことなどざらにある。知名度なんて所詮ある世界から見たものであって、本当の実力なんて試合が始まってみなければわからない。W杯での優勝国は今回のフランスで7カ国となった。ドイツ、イタリア、イングランド、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、それてフランスである。でも、そのフランスは前の2回は連続して予選落ちしている。世界大会で優勝するチームが2回も連続して予選落ちするなんて他のスポーツではあり得ないことだと思う。(1999/06記) |
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◆セリエA 1997〜98年シーズン ユベントス1−0インテル |
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(1998.4.26 トリノ、スタディオ・デッレ・アルピ) 僕はセリエAを見るためにWOWOWを契約している。でも、放映権をスカパーにもって行かれたので今年はセリエAを見ることはできない。金がものをいわせる世界がいよいよサッカーの世界にも本格的に押し寄せてきた。サッカーは超メジャースポーツでありながら、アメリカ主導のメジャースポーツほどは金がものをいう世界ではなかった。サッカーは各地域に根ざしいろんな価値観が共存するスポーツなので、グローバルな資本主義の枠組みというものにくくられにくかったからだと思う。でも、ここへ来て状況は変わっている。マードックがマンチェスターUを1000億円で買収しようとしたけれど、これは英政府によって阻止された。アメリカでは日常的に行われていることなのになぜいけないんだとマードックは噛みついた。でも、英政府の判断は正しいと思う。資本主義だけが我々の根ざす枠組みではない。マン・Uは皆のものなのだ。特定の資本家のものじゃない。 話が脱線してしまった。この試合は、一昨シーズンのセリエAの事実上の優勝を決めた試合である。今やヨーロッパの有力チームは世界中から優秀な選手をかき集めてチームを構成している。この2チームもご多分にもれず多国籍チームとなっている。でも、節操もなく金の力でオールスターチームを作っているインテルに対し、ユベントスの方がチームのバランスということを考え効果的に選手を補強している点が少し違う。インテルはロナウドとかレコバとかベルゴミとか好きな選手がいっぱいいたので、応援していたけれど、ことチームということになるとユベントスの方がまともであることは認めざるを得ない。この試合はシーズンも終盤、ユベントスのホーム、スタディオ・デッレ・アルピで行われた。 試合内容はお世辞にもいいとは言えなかった。でも、緊迫感、勝負へのこだわりという点では超一流の試合だったと思う。ユベントスはデル・ピエロが絶妙の個人技から先制。そして問題のシーンがやって来る。インテルのロナウドがペナルティーエリアの中で倒されたのだ。しかし、レフェリーはPKを取らない。そのままユーベの反撃になったので、インテルの選手は自陣へと戻る。すると今度はインテルの選手がユーベの選手を引っかけてしまう。こっちはPKだ。猛然とレフェリーに詰め寄るインテルの選手達。似たようなプレーが連続して起こったので、レフェリーにとっては不運だったと思うけど、明らかにおかしな判定だった。この判定はイタリアでは物議をかもし、結局この試合のレフェリーは第一人者だったのにもかかわらず引退に追い込まれた。しかし、試合中の判定はもちろん変わらない。 結局、ユーベのPKは決まらなかったけど、ユベントスがそのまま勝利し、セリエAの優勝もさらった。サッカーではレフェリーの判定が勝負を決することが良く起こる。しかももの凄く重要な試合で。厳密さを重んじる人にとってはこういうことは理解できないことだと思う。FIFAも判定の信頼性を増すための対策というものはもちろん取ってはいる。でも、根本的にひとりの審判任せという点は変わらない。それしか対策のたてようがないのだ。なぜだか説明し出すと延々と長くなってしまうのではしょるけど、要するにスポーツは娯楽であって、科学ではないということ。厳密さと引き替えに面白さが失われるようでは本末転倒である。そのことがわかっている人が多いのでまだ救われているけど、馬鹿なことにならないよう常に注意を払う必要はある。(1999/06記) |
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◆UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第2戦 ユベントス2−3マンチェスターU |
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(1999.4.21 トリノ、スタディオ・デッレ・アルピ) 第1戦を1−1で引き分けた後の第2戦。スタディオ・デッレ・アルピは最高潮の盛り上がりを見せていた。まだ、オープニングの緊張感が解けない6分、ジダンからのパスをインザーギがゲット。この後インザーギはもう一点を決め、前半早々ユベントスが圧倒的に優位に立つ。しかし、リーグ、カップ2冠を達成しているマンチェスターは決してあわてない。まずCKからキーンが1点。前半30分過ぎにベッカム、コールとつないでヨークが素晴らしい得点を決める。 2−2になると、マンチェスターはスペースをうまく消し、ユーベはジダンもいまいちうまく機能しなくなる。マンチェスターは引き分けでもいい。勝たなくてはならないユーベは次第に焦りの色が濃くなってくる。後半終了間際相手のバックのミスからヨークが突破、キーパーに倒されたが、こぼれたところをコールが決めた。ユベントスはデル・ピエロの欠場もあってなんとなく元気がなかった。一方のマンチェスターは2トップだけでなく全員が実に有機的に機能し、素晴らしい試合をした。ホームならともかくアウェーでしかもユベントス相手に2点差をひっくり返したのはやはりすごいと言わざるを得ない。(1999/06記) |
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◆UEFAチャンピオンズリーグ決勝 マンチェスターU2−1バイエルンミュンヘン |
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(1999.5.26 バルセロナ、ノウカンプスタジアム) ギグスが復帰し、マンチェスター有利かと思われたがそうはならないのがサッカーの面白いところだ。キャプテンのキーンが出場停止となり、代わりにベッカムを中央に使ったが、これがチームのバランスを崩すことになる。 FKからバイエルンが一点先行。マンチェスターも反撃を試みるけれど、いつものように球回しがスムーズではない。ユーベ戦と比べるとはるかにぎくしゃくした動きだ。ボールの支配率はマンチェスターの方が高いが、バイエルンはしっかりと守ってマテウスを起点とした効果的なカウンターをしかける。じりじりと時間だけが過ぎ、そのままロスタイムを迎えた。マンチェスターが最後のチャンスと思われるCKを得た。一度はクリアされたボールをギグスがシュート。シェリンガムがうまくコースを変え、土壇場で同点に追いついた。がっくりと肩を落とすバイエルン。 しかし試合はそれだけでは終わらなかった。キックオフからのボールを奪ったマンチェスターが再びCKを得た。これをソルスキアがプッシュ。歓喜を爆発させるマンチェスターの選手とサポーター。グラウンドにへたりこみ立ち上がることすらできないバイエルンイレブンと涙、涙のバイエルンサポーター。天国から地獄、地獄から天国が一瞬にして入れ替わる明暗くっきりのゲームとなった。 ロスタイムでの逆転劇。数多くのサッカーの試合を見てきたけど、こんなことはもちろん初めてだ。試合内容としては必ずしもベストゲームではなかったけれど、最後のドラマはそれを補ってあまりあるものだった。(1999/06記) |
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◆Jリーグ1st stage ジュビロ磐田2−1鹿島アントラーズ |
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(1999.5.5 東京、国立競技場) 僕の事務所は国立競技場から歩いて10数分のところにある。Jリーグは特にひいきのチームはないけれど、暇を見つけては足を運ぶようにしている。子供の日に行われた試合は前シーズン優勝を争ったチーム同士ということもあって久しぶりに超満員の観衆で埋まっていた。 両チームとも気合い十分で負けられない気迫というものが伝わってきた。攻める意欲も十分だったので、見ていて面白い試合となった。ジュビロはリーグ戦の合間にアジアクラブ選手権をこなすという強行日程で、動きで上回る鹿島がやや押し気味に試合を進めていた。鹿島が一点先行し、そのまま終わるのかなと思われた後半終了間際、名波が絶妙のFKを決め、試合を振り出しに戻した。延長に入っても両チーム一進一退の攻防が続いたが、中山がヘッドで折り返したところを藤田が押し込んだところで決着がついた。 Jリーグでもこういう試合を繰り返せば観客も満足するし、選手のレベルも上がっていくと思う。国内では久しぶりにいいゲームだった。(1999/06記) |
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◆UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝 |
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(2002.4.10 マドリッド、サンチャゴ・ベルナベウ) 先週の木曜日早朝(日本時間4/11)行われたチャンピオンズリーグクォーターファイナル第2戦、レアル・マドリッド対バイエルン・ミュンヘン。その余韻が数日経った今もまだ残っている。 深夜3:45開始の試合は、さすがに生で見るのは辛いので、あらかじめビデオをセットしておいた。でも、やっぱり気になって3時半頃目が覚めてしまう。テレビのスイッチをつけてみる。見ながらでも眠くなって寝てしまえばそれはそれでいい。ところが・・・。 こ・れ・は、寝てる場合じゃないゾ。こ・れ・は、特別な試合だ。ゲームが始まった瞬間、そう直感した。ゾクゾクするような殺気だった雰囲気がTV画面からもひしひしと伝わってきたからだ。こういうゲームはほんの一瞬たりとも目を離してはイカン。その時点で寝ころびながらではなく、TVに正対する100%の観戦モードに突入した。 開始早々、レアルの波状攻撃。決定的なチャンスを2度逃す。普通なら、嫌なムードが漂ってくるところだが、この日のレアルはとにかく結果を手にするまでは、絶対に主導権は渡さないという気迫に満ちあふれている。タレント軍団の面目躍如で様々な手口でバイエルンゴールへと迫る。ジダン、フィーゴ、ロベカル(ロベルト・カルロス)、ラウル、役者は十分に揃っている。緩急をつけたエレガントな攻撃でバイエルンの完璧な守備網を幾度となく突き破る。でも、そこは試合巧者バイエルン。こちらも並々ならぬ集中力でどんなに攻め込まれても最後のところは絶対に割らせないという気迫で応酬する。時折鋭いカウンターでレアルの度肝を抜く。「絶対」対「絶対」の意思の激突。レアル優位ではあるが、ゴールは割れず0−0のまま前半が終了する。 先々週ミュンヘンで行われた第1戦は2−1でバイエルンの勝利。つまり、レアルはとにかくこの試合は勝たなければならない。引き分けではダメだ。1−0だと、一勝一敗。トータルスコアでも2−2となるけれど、トータルスコアで並んだ場合、アウェーゴールが倍にカウントされるので、レアルの勝利となる。つまり、レアルはどうしても1点が欲しい。バイエルンはとにかく、点をやりたくない。その思いが如実に現れた前半だった。 後半、レアルが怒濤のような攻めを見せる。あと一歩のところまで迫るけど、ラウルのシュートはディフェンダーにクリアされ、ジダンの芸術的なシュートもクロスバーに阻まれる。均衡が破れたのは後半23分。CKからのこぼれ球がフリーのロベカルの元へ。猛スピードで折り返されたボールをエルゲラがプッシュ。この瞬間、体全体をゴーっと熱いものが駆け抜けていった。 こ・れ・は・す・ご・い。 この日のサンチャゴ・ベルナベウ(レアルのホームスタジアム)は凄かった。サッカーの場合、どの試合でもホームチームのサポーターの声援は熱いけど、この日の場合、声援という生半可なものではなかった。9万の大観衆の叫び。それは大きなうねりや津波のようなものだった。それがこのゴールで一気に爆発したのだった。絶対対絶対の対決では観客はそれ以上の何かをもたらす存在だ。そのエネルギーを受け取った方が有利なのは当然のことである。 バイエルンも必死に反撃する。でも、流れは徐々にレアルの方へと傾いていく。後半39分。レアル待望の追加点。トータルスコアで3−2。ラウルが相手ディフェンダーに競り勝ち、折り返したところをグティーがプッシュ。この時点で勝負はついたかに見えた。それでもバイエルンはエウベルの強烈なシュートがポストをかすめるなど最後まで諦めない。でも、サリハミジッチがロスタイムに退場になり、さすがのバイエルンも万事休す。ついに幕切れの瞬間が訪れた。 この試合、ぎりぎりのプレーが連続する中で、両チームの集中力は際だっていた。雨でスリッピーなグラウンド。きわどい判定。反則すれすれの捨て身のタックル。観客席からものが投げ込まれ中断する。投げ込まれたものがエッフェンベルクの頭に当たったりもした。都度、猛抗議が繰り返される。しかし、数限りない事件が発生しつつも、次の瞬間にはなにごとも無かったかのごとく平然とプレーを続ける選手達。終わったことなんかに気を取られている場合じゃない。彼らは常に次の瞬間へと気持ちを切替え、集中力を高めているように見えた。 タイムアップのホイッスルの後、試合中は掴みかからんばかりににらみ合っていた両チームの選手達が抱き合っていた。特に、負けた方のバイエルンの選手達のすがすがしい表情が印象的だった。彼らは全てを出し尽くしたのだ。自分自身にもチームにも結果は問うまい。それがひしひしと伝わってきたのが感動的だった。(2002/4/14記) |
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