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山日記をUPします。1991年から1992年にかけて3回に分けて北アルプスへ登った時の記録です。このころはそれなりにハードな山登りをしていました(今じゃとてもダメ)。随分前に書いたものですが、これも10年前の日記同様、日の目を見せてあげることにしました。 後からルートの記憶をたどれるように書いたものです。内容はほとんどが自然の描写なので、山好きの人、文章を読むのが3度のメシよりも好きな人、このサイトにはまってしまった人(そんなヤツいるか)以外は特におすすめは致しませんが、お暇でしたら読んでみてください。文章だけでも山の雰囲気を味わっていただければ幸いです。なお、“Photocamera”の中の“Mountain View”のコーナーにこの時撮った写真を数点アップしています。よろしければそちらの方もご覧下さい。 2002/4/29 UP ◆雲の平〜水晶岳〜黒部五郎岳〜笠ヶ岳大縦走:1991/08/12(月)〜17(土) ◆槍・穂高、雨のち晴れ:1992/08/20(木)〜23(日) ◆新雪の剣岳:1992/09/26(土)〜27(日) |
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山から下りてきて2日が経つけれど、まだ体がだるい。おまけに、日常の時間感覚になかなか戻れない。夜はすぐ眠くなるし、逆に朝は早く目が醒めてしまう。9時に寝て4時に起きる生活が習慣となっていたんだから仕方がない。山では写真は撮りまくったけど、日誌は全くつけていなかった。6日も山にこもっていたので、最初の頃の記憶は徐々に薄れつつある。忘れないうちに、山の出来事、印象を文章にしておこうと思う。(1991/8/20〜9/8、2002/4/27校正) |
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8月12日(月): |
折立(8:15)→太郎兵衛平(12:15)→薬師沢小屋(15:30)(泊) |
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朝5時に目が醒める。前日夜遅くまで飲んでいたせいで瞼が重く、体がだるい。とても登山に出発する朝の体調じゃない。先行き少々不安になる。おまけに今まで背負ったこともないほどの重さの荷物を背負わなければならないかと思うと気が重い。5時半頃、皆が眠い目をこすりながら起きてくる。どうせすぐには起きてこないだろうと思ったY君が意外とすぐに起きてくる。Y君とKちゃんは山には登らないけれど、登山口まで僕たちを見送りに来てくれることになっている。山に入るのは山田君と美香ちゃんと自分の3人。バナナと牛乳の簡単な朝食を取った後、出発する。 空はどんよりと低く、時折小粒の雨がぱらついている。川は昨日の雨でかなり増水しており、激しい流れを作っている。ところどころに雲の切れ目が見受けられ、天候の回復に期待をかける。 折立へ向かう林道はすれ違う車も少なく、険しい谷を縫うようにつけられていた。想像以上に山深い谷で心細い。山に登る人間にしては随分だらしがないなと心の中で苦笑する。でも、谷は大抵暗いから、明るい山の上よりもはるかに恐いものなのだ。有峰湖に向かう道を分け、湖を見おろす高台の上で皆で写真を撮る。水面には朝もやがかかり、なかなかに幻想的な風景だ。YとKちゃんもこれならわざわざ来た甲斐があったというものだろう。 折立に着いたのは8時少し前。こんな山深いところにある登山口なのに、思ったよりも賑やかだ。駐車している車が狭い道の両側いっぱいに溢れていて、路線バスも2、3台待機している。売店や便所まで完備しているのには少々面食らう。 登り口においてあった秤に荷物を載せてみる。なんと22kgもある。山田君の荷物に匹敵する重量だ。自分は山小屋泊り、彼らはテントなのにどうしてこういうことになってしまうのか。カメラの分を差し引いても重すぎる。着替えを持って来すぎたのか。この先のことを思いやると少し憂鬱だ。気がつくとぱらついていた雨もいつのまにか上がっており、雲の切れ目から時折日差しも差し込む陽気になっている。 肩にずっしりと重い荷物を背負い出発する。Y君とKちゃんも途中までついて来ることになった。いきなりかなりの急登だ。樹林帯の道は雨上がりのためすべりやすく、歩くのに苦労する。寝不足のせいか体が重い。おまけに登れども登れども延々と続く樹林帯。Y君とKちゃんも泥道を30分ほど着いてきたけれど、さすがにサンダル履きやスニーカーではこれ以上は無理だ。天気も良くないので彼らはここで引き返すことになった。 樹林帯の登りが相当続くことを覚悟する。でも、予想に反して、2、3時間も歩くと視界が開け、緩やかな尾根づたいの道となる。北アルプスは南アルプスに比べ、やっぱり森林限界が低いことを痛感する。おてんと様もかろうじて御機嫌を保っていたけれど、太郎兵衛平に着く頃にはぱらついていた雨が本格的な雨となる。こんな時はゆっくり休憩していてもちっとも楽しくない。食事も早々にして薬師沢へと下ることにする。雨の中の登山はうっとおしい。深田久弥は雨の日の山の雰囲気をたたえていたけれど、これほど荷が重く道もすべりやすいと、そんな雰囲気を味わう余裕もない。 山田君はもうすぐだもうすぐだと楽観的なことばかり言う。でも、そうは問屋が卸さない。明日また登らなければならないので、もうこれ以上は下りないでくれよと願うけど、期待に反してどんどんと下って行く。1、2回薬師沢の支流を横断した後、今度はいまいましい登りだ。登りの途中での下り、下りの途中での登りは頭に来る。雨は降ったり止んだりを繰り返し、再びまともに降ってくる。まもなく小屋なのでわざわざポンチョを出すまでもなさそうだ。わずらわしいけれど傘をさすことでしのぐことにする。カベッケヶ原と呼ばれるカッパの伝説で有名な湿地帯を過ぎると薬師沢小屋はすぐだった。 |
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8月13日(火): |
薬師沢小屋(6:00)→雲の平山荘(10:00)(泊) |
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水晶小屋まで足を伸ばすか、雲の平までにしておくか。迷ったあげく、先を急がず雲の平までのんびりと行くことにする。途中までは山田君、美香ちゃんと御一緒する。 薬師沢から雲の平に取り付く登りは前日の折立の登りよりもきつかった。彼ら2名の足どりは軽く、ついて行くのに苦労する。でも、お互励まされるのでひとりよりは楽だ。一人だと疲れたらすぐ休んでしまうけど、複数だとそう簡単に音をあげるわけにはいかないからだ。彼らの後に我慢してついて行く。2、30分は休まず歩くので、いつのまにか高度が稼げてしまう。2時間も登ると潅木帯になって景色が開け、薬師、黒部五郎などの山々が手に取るように眺められるようになる。 写真を撮り始めるので彼ら2人からは遅れがちになる。彼らには構わず先に行ってくれと言う。さらに進むとハイマツ帯となり、一段と視界が開けてくる。このあたりはアラスカ庭園、奥日本庭園と呼ばれており、高山植物が咲き誇る素晴らしい場所だ。でも花は既に盛りを過ぎていて、少々がっかりさせられる。それでも、雲の平山荘の近くまで来ると、コパイケイソウやチングルマとおぽしき白い花が咲き乱れて素晴らしい光景が広がっていた。このあたりはギリシャ庭園と名付けられている。なにも先を急ぐことはないので、荷物を降ろし写真など撮りながらゆっくりと時間を過ごす。昨夜同宿だった親子連れが追い越して行った。今日は高天ヶ原まで行くそうである。山荘に着くと、山田君らはちょうど食事を終え出発しようとしているところだった。ここで彼らとは別れることにする。あとは最終日まで、きままな一人旅である。 荷物をおいた後、高原を散歩する。山荘から上の方も、全般的には花は盛りを過ぎている。にもかかわらず、白い絨毯のように広がるお花畑は見事というより他はない。前方には水晶岳が黒い頭をのぞかせていた。お花畑の中に設けられた木道をはずれ小高い丘に登ってみる。ここまで来ると水晶の全体を見渡すことができる。ここからの水晶の眺めは実に素晴らしい。頂上から左右に延びる稜線はまるでカーテンのようにゆったりとたなびいていて、隣の山に連なっている。かといって他の山との連なりのなかに吸収されているわけではなく、独自性は保たれている。この付近では群を抜いて高く、その標高は3000mに迫る勢いだ。頂上の2つの突起は、妖怪の頭を連想させるような神秘性がある。高原を見おろす女王とでも表現したらいいだろうか。 再び、小屋の近くまで戻り、今度は小屋のすぐそばの小高い丘に登ってみることにした。頂上は大きな石がごろごろし、ベンチ代わりにするのにはちょうどいい。女王様に見おろされながら、下界とは隔絶された別天地でのんびりとした時間を過ごすのは気分がいい。黒部五郎は雲によってよく見えない。薬師は相変わらず白っぽい地肌を見せている。水晶の黒い色とは対照的だ。五色が原から立山、剣に至る長大な稜線には滝雲が流れ落ちている。高原は時折雲がかかり、明るくなったり暗くなったりを繰り返している。 石の上に寝ころびながら、明日はどこへ行こうかと考える。どうも水晶岳を割愛するわけにはいかなさそうだ。早起きして、水晶を往復しよう。そうすれば何とか黒部五郎小屋までは行けるだろう。翌日のプランを練っているといつのまにかまどろんでしまった。小屋へ戻ると既にかなりの人が到着し、がやがやと賑わっていた。期待していた夕焼けは霧に包まれて見られなかったけど、霧でかすむ高原に夕闇が迫ってゆくさまもなかなかに風情があった。 |
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8月14日(土): |
雲の平山荘(4:00)→祖父岳(6:00)→岩苔乗越(6:30)→水晶岳(8:00)→岩苔乗越(10:00)→驚羽岳(11:00)→三俣山荘(13:30)→黒部五郎小屋(15:30) |
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小屋から出ると、まだ外は暗闇の中。空は既に東の方がうっすらと明るくなっている。でも未だ足元を明るく照らすまでには至っていない。祖父岳へ向かう山道の方へ目をやると、先をゆく人の明かりはなく、心細い。テント場までは昨日歩いているので、道がしっかりしていることは分かっている。でも、わずか乾電池一個ばかりの明かりをたよりに、たった一人で大自然の中の真っ暗闇を歩くのはさすがにためらわれた。ぐずぐずしていると、一つの明かりが小屋から顔を出してくる。 「すみませんが、途中まで一緒に行って頂けませんか。」 相手も同じことを考えていたらしい。 「いいですよ。まだ暗いですからね。」 荷物を整える振りをしながら平静を装って答える。内心ほっとしたのは言うまでもない。相手は年の頃四十過ぎの女性。自分が先に立ち、後ろのペースを見極めながらいつもよりもゆっくりと歩く。意外にしっかりした足どりで着いてくる。山慣れた人のようだ。テント場まではたいした距離ではないけれど、20分ほど経っている。やっぱり昼間よりは時間がかかっている。 テント場の横の水場で朝食をとる。バターロール2〜3個と水だけという簡単な食事だ。今日みたいに遠くまで行かなければならない日は朝食にも時間を割いていられないのが辛いところだ。女性としばらく立ち話をする。自分は三鷹に住んでいますと言うと、彼女も昔、井の頭四丁目に住んでいたそうだ。こんな所で同じ町内の人に会うのも不思議なもんだ。あたりを見渡すともう既にあたりはかなり明るくなっている。これなら、もうヘッドランプの明かりは不要だろう。その方には写真を撮りながら歩きますのでと言って先に行ってもらうことにする。 祖父岳の登りは勾配としてはたいしたことはないけれど、なにぶん朝一番の登りは体にこたえる。荷物の重さが肩に食い込みじりじりと痛い。たかだか、20キロちょっとの荷物なのに、日頃なにもしていないとこんなにもひ弱なものなのか。ボッカをする人は50キロも60キロもある荷物を背負うとのこと。彼らは一体どんな体をしているのだろう。人間、訓練するとそこまで変わることが出来るものなのか。 あたりはかなり花が咲いていて、時々立ち止まって写真を撮る。持ってきた三脚を初めて使う。スローシャッターを切るけれど、風がない瞬間をねらわなければならないのでタイミングが難しい。朝もやの中のお花畑というのもなかなかに幻想的である。 チンタラ歩いていたらいつのまにか祖父岳の最後の登りにさしかかっている。上の方で先ほどの女性が雷鳥がいます、と誰かに向かって言っている。急に足どりが早くなる。雷鳥は、晴の日は決して姿を現さず、霧のかかった時か、天候の悪いときにしか姿を現さない。その姿を是非この目で確かめたかったが、結局見ることは出来なかった。祖父岳の頂上に着いたのは6時少し前だった。 頂上ではブロッケンが早起きを祝福してくれた。黒部谷の方にガスが出ては消え、出ては消えを繰り返し、それに伴ってそこに映る自分の影が濃くなったり薄くなったりした。ブロッケンはしばらくの間はそれほどはっきりとはしていなかった。それが突然今までにないほどくっきりと、回りに七色の後光を抱いて現れた。カメラを向けると一瞬にして消え去りもう2度と現れることはなかった。横にいた人もやはり撮り逃がしたらしく同じようにくやしがっていた。 岩苔乗越まで下り、再び登りかえすと水晶岳へと続く稜線まではすぐだった。ここは雲の平と主稜線との分岐点で小ピークになっている。荷物を置き、デイパックだけで水晶を往復することにした。 水晶への道のりはアルプスのまっただ中を行く快適な稜線散歩である。北アルプスの全ての山々が眼中におさめられた。雲の平の向こうには薬師の重厚な山稜が良く眺められた。前方には立山と剣が重なるように見えている。右手には野口五郎岳から針の木岳に続くのっペりとした山陵が手に取るようだ。その向こうには、後立山の山々が連なっている。振り返れば槍、穂高はもちろんのこと大天井、常念なども容易にわかる。なかでも、ここからの槍は崇高なほど高くそびえている。荷物が軽いため足どりだけでなく心まで軽かった。やっぱり荷は軽いに限る。神秘の山、水晶まではもうすぐだ。山頂はすぐ近くに見えているのだが、意外と小さなピークの昇降に手間取り、頂上に着いたのは既に8時をまわっていた。 ここは、北アルプスのなかでもとりわけ奥まったところである。縦走路からはずれているので訪れる人も少ない。深田久弥は「先を急ぐことのみを能とする縦走病患者は、この立派な山を割愛して、少しも惜しいとは思わないようである。」と述べている。山容は立派で、幾重にも連なった周辺の山波は水晶岳という女王を取り囲む使いのもの達という趣がある。それに、これほど頂上らしい頂上を持った山もめずらしい。普通は頂上といってもどこが最高点だかわからずに間延びしている場合が多い。でも、ここは訪れる人の数に見合った狭い頂上で、高山にふさわしい高度感が爽快だった。 今日は、黒部五郎小屋まで行かなくてはならないので、早めに頂上を後にする。荷物の置いてある岩苔乗越の上のピークまで戻り、鷲羽岳へと向かう。この登りは、日差しの強さと荷物の重さが体にこたえ、まるで我慢大会のような辛抱を強いられた。 鷲羽岳の頂上は比較的広々としていて、くつろぐのには良い場所だった。下方には鷲羽池が光っている。ただ、景色がいいことを除けばこの山は今ひとつ強烈な個性には欠けた。高さでは水晶岳に劣るし、黒部五郎のカールのような明確な特徴があるわけでもない。薬師のように壮大な山容を誇るわけでもない。景色が良いのと、やたらに暑い山という印象だけが残った。100名山には入っているけれど、どうも当選ぎりぎりといった感じの山である。 荷物をまとめ出発しようとしていると、おととい薬師沢小屋で一緒だった親子連れ3人が登ってきた。娘さんが一番元気が良く一番乗りを果たし、まだかまだかと両親を待っている。別に疲れたふうでもなく、まだまだ表情には余裕がある。しばらくしてふうふう言いながら彼女の両親がやってくる。きのうは雲の平までいったん登り、高天原まで降りたそうだ。あそこからここまで登ってくるのは大変だ。記念写真を撮りますよといったら、お母さんは恥ずかしいと言って顔をタオルで覆ってしまった。挨拶を交わした後、手を挙げてさよならをした。 下りはザレ場で三俣小屋まで一気に下っている。昨日からおかしかった左膝が下りの衝撃でじりじりと痛みだす。左膝になるべく負担をかけないようにしながら降りるけど、ザレた道なのでそういう訳にもなかなか行かない。元気のいい高校生の集団に次々と抜かれてゆく。強い日射のおかげで足ばかりでなく頭まで痛くなる。 鷲羽乗越を過ぎ、あともう少しで小屋までたどり着くという地点で素晴らしいお花畑に遭遇する。谷底までコパイケイソウやチングルマ(だと思う)が一面に咲いている。名前は良くわからないけれど黄色い花や百合の仲間と思われるオレンジの花も混じっている。こんな大規模なお花畑は今までには見たことがない。しばらくの間、写真を撮ることにした。上空の雲は絶えず動き回り光線の状態が刻一刻と変わってゆく。先がなければいつまでいても良かったが、天気も少し心配だったので、早々に引き上げて小屋へと向かう。 疲労もだいぶたまってきたので、よっぽど今日はここの小屋の泊まりにしようかとも思ったが、朝焼けの黒部五郎への思いは断ち難く、もうひと頑張りすることにした。黒部五郎方面は雲がかかり、おまけに時間も1時を回っているので先を急ぐ。 三俣蓮華岳のトラパース道は先ほどのお花畑に勝るとも劣らない一面のお花畑の中に付けられていた。途中、わき水が出ている場所があった。手ですくって飲んで見た。信じられない程旨かった。これが太古からの本物の水の味なのか。東京で飲む透明な液体、あれとは全く別物だ。全国各地様々な名水があるけれど、こんな水もめったにないと思う。いかにも高山らしくやや硬い水だ。こんなうまい水を一人じめできるなんて。気がつくといつのまにか何倍も何倍も飲んでいた。 霧が晴れ、日が差し込んでくると、そこは山の懐に抱かれた静かな別天地だった。途中すれ違った人が「最高ですね」と言っていた。上の方を見あげるとごつごつとした岩の間に残雪があった。下を見ると湿原のなかに幾つもの池糖があり、その周囲に高山植物が咲き狂っていた。大自然がめったに見せない優しいほほえみを投げかけてくれていた。頭から何度も何度も水をかぶり、至福の喜びに浸っていた。時間の経つのも忘れてしばらくその場所にたたずんでいた。可能ならば、ずっとその場にとどまっていたかった。でも悲しいことに僕たち人間はこの大自然に生身でとけ込めるほど強くはない。日の傾かないうちに小屋までたどり着かなければならない。重い腰を上げ、黒部五郎へとむかうことにした。そこから、黒部五郎小屋までは、痛い左足を引きずりながらでも1時間とはかからなかった。 |
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8月15日(木): |
黒部五郎小屋(4:30)→黒部五郎岳(7:00)→黒部五郎小屋(9:30)→三俣蓮華岳(12:30)→双六岳(14:30)→双六小屋(15:30) |
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この日は、中村清太郎や深田久弥がひいきにしたという黒部五郎岳にいよいよ登る日だ。山頂まではカール経由でも2時間かかる。頂上でご来光を拝むのはまず無理だけど、せめて朝焼けの黒部五郎が拝めるように早立ちすることにしよう。 小屋の外に出ると既に薄明は始まっていて、ヘッドランプなしでも歩ける状態になっている。頂上に向け既に何人かが出発していた。日の出は5時15分頃という話なので、それくらいまでには、なんとか山頂が見えるところまで着いていたい。小屋からしばらくはダケカンバなどの潅木の中を緩やかに登る。道はしっかりとつけられているけれど、下草がだいぶ張り出していて、ズボンが草露でびっしょりと濡れてしまう。黒部五郎はまだここからは望めない。でも、比較的まばらな樹林帯なので周囲の景色はかい間見ることができる。30分も歩くと樹林帯がまばらになり、見晴らしのきく場所に出る。ここは既に黒部五郎のカールの最下部である。登山道は湿地帯の真ん中につけられており、周囲には高山植物が咲き乱れている。ただ、今年は例年になく花の咲く時期が早かったそうで、ほとんどの花が終わりかけだったのが残念だ。最盛期に訪れたならば、もっと素晴らしい光景が見られただろうに。 黒部五郎の頂きは既に赤らみかけている。ここからではほんの上の方しか見えない。山全体が見渡せるところまで辿り着くため、歩くピッチをもう少し速めることにした。一歩一歩を踏み出すたびごとに足元から水がしみだしてくる。荷が軽いので前日の朝とはえらくスピードが違う。荷が軽いことの有利さを痛感する。荷物が重いと山を楽しむ余裕などなくなってしまう。モレーンと呼ばれる氷河が運んできた堆積物(といっても小さいものではなく巨大な岩だけど)が一面にごろごろしている場所まで来る。山頂には既に朝一番の日の光が射している。光線はそれほど赤くはない。これでは写真にとってもたいして美しくはないので、かえって気が楽だ。 写真というのは非常にくせものだ。写真を撮ることが頭にあると、景色を楽しむという余裕がなくなってしまうからだ。本当は写真なんか撮らないで、自然そのものを楽しむ方がよいのかもしれないけれど、下界へ帰ってからも素晴らしい体験を再現するのも捨て難い。かといって、中途半端にシャッターを押せば、帰ってからこんなはずではなかったのにと後悔に暮れることになる。良い写真を取ろうと考えたら、やっぱりそれなりの神経の集中は必要だ。写真を撮るのと山をゆっくり楽しむことはなかなか両立しない。唯一の解決方法は、コースタイムの倍ぐらいの時間をかけて歩くこと。そうすれば、両方楽しむ余裕ができる。 カールもいよいよ一番奥まった場所まで来る。ここから先は、カールの縁(へり)の急激な登りが待ちかまえている。斜面にジグザグに付けられた道には先を行く何人かの人が見受けられる。カールの中には自分の他に全く人影はなく、ひっそりと静まり返っている。カールは自分ただ一人だけを包み込み一つの空間を形作っている。雪渓を源とする水の流れだけがさらさらと音をたてている。空腹のままの登りは避けたかったので、ここでやや遅い朝食をとることにした。 大自然を肴にしたぜいたくな朝食。何を食べたかは忘れたけど、食事の内容などはもはやどうでもよかった。雪渓を涼とする水の流れと周囲の壁を形作る巨大な岩ぶすま、そして足元に咲き乱れる花。この素晴らしい中庭を独占するのは最高の気分だった。ただ、ひとり旅の悲しさで誰か他の人とこの幸福を分かちあいたいと思ったこともまた事実である。 カールの縁(へり)を登るのは思ったよりも簡単だった。一番上まで達すると、おととい雨の中を歩いた太郎兵衛平とそこへ続く牧歌的な稜線そして薬師の大きな山容が目に飛び込んできた。その向こうには水平線まで続く真っ平な部分が見えた。一瞬日本海かと思ったが、良くみるとそれは水面ではなくどうやら朝もやだった。でも、あの朝もやの下にはソビエトまで続く日本海が確実に存在する。そう思うと海は見えなくともある種の感慨に浸ることはできた。 先行していた人たちは、ここで皆食事をとっていた。まだ誰も頂上には着いていないようだ。そう思ったとたん、彼らへの挨拶もそこそこにして自然に足どりが頂上へと向かった。あこがれの山に是非その日の一番乗りを果たしたかったのだ。前日、前前日とこの付近はほとんど雲に隠されていたけれど、幸いなことに周囲には全く雲は出ていない。最後のガレ場を登ると待望の山頂に立った。 今までの山頂とは違い、ここからはこの山域のすべての山が前方180度に納まった。ここは北アルプスの西端に位置する孤高の山なのだ。薬師は相変わらず巨大な山容を横たえており、その向こうには立山、剣がそびえている。目の前にはどこが頂上かが判然としない三俣達華岳から双六岳に至る稜線がゆったりと延びていて、左には昨日登った驚羽岳、そして水晶岳がひときわ高く際だった姿を見せていた。右へ目を移せば、槍、穂高が昨日以来見慣れた姿を見せていた。そのさらに右にある笠ヶ岳の孤高の姿が印象的だった。下の方に目をやると、今まで歩いてきたカールの底が手にとるように眺められ、水の流れがなめくじの歩いたあとのように逆光の中に光っていた。 下りは登りとは別の尾根筋を歩くルート(カールの縁)をとることにした。こっちの道は細かい投降が結構あって、カールの底の道に比べるとあまり整備されてない。だから歩く人は余りいないようだった。実際小屋に着くまでに会ったのはたったの2名だった。露岩がハイマツ帯の中から顔を出していて、巨大なものは小さな岩峰となっていた。ある時はその上を越え、ある時はその横を巻くようにして通り過ぎてゆく。この感じはちょうど甲斐駒の頂上付近の道に良く似ている。 左手に先ほど通ってきたカールの底そして反対側のカールの壁を見ながらの下りは気分がいい。ハイマツの根っこが行く手を妨害し、紛らわしい踏み跡も混じっているので意外に時間を食う。でも下りはやっぱり気が楽だ。さらにいくつもの岩峰を過ぎ、黒部五郎が望める最後の岩峰でひと休みすることにした。足元のカールには高山植物が咲き乱れ、その中を登山者が歩いているのが良く見える。 薬師岳が良く見える広々とした原を過ぎ、小屋までの最後の樹林帯を下る。樹林帯といっても潅木なので日差しがきつく蒸し暑い。沢状に窪んだ部分をしばらく歩き、ようやく小屋が見える小高い場所まで辿りつく。ここからはたいした苦労もなくあっという間に小屋まで駆け降りてしまった。 時間は9時半を廻っている。出発したのは4時半だったから、往復に5時間を費やしたことになる。玄関脇のテントの中には自分の荷物だけがポツンと残されている。どうやら、今朝黒部五郎を往復したのは自分一人だけだったらしい。他にもそういう人がいれば、このテントの中に他の人の荷物も残されているはずだ。昨日から今日にかけてここに泊まった人は自分を除いては全て縦走の途中で立ち寄った人々だったのだ。意外にみんなあわただしい旅をするもんだ。自分は今回、水晶と黒部五郎の山頂をピストンしたけれど、結果的にこれは大正解だったと思う。空荷で往復することの快適さを一回味わったら、重い荷物をしょいながら縦走するのは耐えがたい。 小屋の前で急ぎ腹ごしらえをした後、再会を誓って黒部五郎に別れを告げる。小屋の横からいきなり急登が始まる。三保蓮華までの登りを終えればあとは比較的楽なので、ぐっと気を引き締める。前日ここを下っていたので勝手は知っていたけれど、予想していた通りきつい登りとなる。振り返るとゆっくりながらも少しずつ高度はかせいでいる。樹林帯を抜けハイマツの尾瀬道に達すると道は大分緩やかになってきてひと息つくことができた。ほぼ、コースタイム通りの時間でトラパース道までの分岐に着く。 この道も相変わらず登山者が少ない。小屋からここまで来るのに数人にしか出会っていない。今回、このルートを選択したおかげでひどい混雑には巻き込まれずに済んだ。どこの山小屋も耐えられないほどの混雑ではなく、比較的快適に過ごせたし、登山道も比較的すいていて、この日などはこれが最盛期の北アルプスだろうかと思うほど人は少なかった。人が多いとすれ違いに神経を使うばかりか、静かな山の雰囲気も損なわれてしまう。 ここから頂上までの登りは、きつかった。左足の膝の痛みがひどくなってきて、一歩を踏み出す度に痛みが走る。黒部五郎から見た三俣蓮華は随分なだらかで、頂上付近の登りはたいしたことはないだろうとたかをくくっていたけれど、いざ登るとなるとこれが結構時間をくう。何度も偽の頂上にだまされ、本物の頂上にたどりついたのは12時をとっくにまわっていた。 ここは、三俣の名のごとく、長野、富山、岐阜の3県が接するところで縦走路の分岐点となっている。山容は平凡だが、展望は雄大。でも、この時ばかりは雄大な展望よりも疲労を癒してくれる涼しい日陰が欲しかった。幸いにもガスが双六岳の方から湧いてきて時折太陽の光を遮ってくれた。ガスが太陽を遮るたびに嬉しくなり、再び太陽が現れると思わず顔をしかめずにはいられなかった。ガスのおかげで双六、笠方面の展望はきかなかったけど、水晶、鷲羽方面は良く見えた。水晶がひときわ高いのが印象的だった。 そこから、双六岳までは歌でも歌いたくなるようなのんびりとした散歩道。稜線は女性の体の線のように優しい弧を描き、双六岳は乳房の膨らみを思わせるようなゆるやかな起伏を持っていた。旗雲が双六岳から湧いてきて尾根筋を右と左に分けていた。右手の双六岳からは熱風が吹き上げ、左手の湯の俣川からは対照的に冷たい風が吹き上げていた。道は尾板筋の上を通ったり、右左を巻いたりしたけれど、右の巻き道は熱風のおかげで蒸し暑かった。途中いくつかの雪渓の横を通り過ぎた。雪渓の下にお花畑が広がっていて、その下にはトラパース道がえんえんと双六小屋方面まで続いていた。全くとんでもない空間の広がりだ。空と丘が遥かかなたまで続いている。その中で谷を挟んだ向かい側の硫黄尾根の焼けただれた赤い姿だけが一種異様な光景を呈していた。 双六岳へ登る道と双六小屋に至るトラパース道の分岐までやってきて、どっちの道をとるかしばらく迷う。せっかくだからここは頂上を踏んで行くことにした。疲労と足の痛みがかなり進行していたので、小屋までの道のりを考えると少しでも楽なルートを選ぶことも考えた。でも、トラパース道の方も意外に高低差があって、頂上を踏んでも苦労は大差ないような感じがした。小屋までは時間にしてあと一時間位なので、ここまでくれば何とかなるだろう。 山というよりも丘といった方が正しい双六岳の登りだったけど、どんな山頂でもやはり最後の登りは辛い。今日最後の登りだと自分に言い聞かせ、左足をかばいながら少しずつ足を運ぶ。頂上はまわりにガスがかかっていて展望はあまり利かなかったけど、今まで辿ってきた三俣方面の稜線が良く眺められ、また広々していたので休むのには格好の場所だった。 小屋までは、一転して急な下りだ。いままで登ってきた貯金をここですベて使い果たさねばならないのだから当然だ。下りになると左足にかなり負担がかかってくる。再びジリジリと痛みだし足が進まない。後から来た人にどんどん抜かれていく。老人にまで抜かれるのはしゃくにさわるので、前を歩く初老のグループをペースメーカーとし、頑張って歩くことにする。途中何べんも立ち止まったけれど、日が西に傾きかける前にはたどり着くことが出来た。 小屋は北アルプスの交差点に位置し、かなりの賑わいを見せていた。外にはテーブルが並べられ峠の茶店といった雰囲気だ。何とケーキセットやおでんまで売られている。先に到着した人がそれらを食べているのを見ていると自分も欲しくなるのが人情だったけど、ここはぐっとこらえてビールだけで我慢する。山でやたらに買い食いをするのはどうも性に合わない。金もかかるし、なによりも下手にここでお腹にものをいれてしまうと、夕食がまずくなる。 おなかをすかしたまま、一晩の宿泊を申し込むと、幸い混雑していた割には良い部屋が割り当てられた。8畳に12人種度の密度で、ゆったりとまではいかないけれど、寝るのに不自由はない。小屋のおじさんもてきばきと愛想良く応対してくれたので気持ちがいい。期待していた夕食も、黒部五郎同様てんぶら等もついた豪華版だった。特に具のたっぶりと入った味噌汁は一日のすき腹を満足させてくれるのに十分で、何杯も何杯もおかわりをした。この小屋のことを一番心配していた(人が集中する場所にある)ので、快適に過ごせて十分に満足だ。 |
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8月16日(金): |
双六小屋(6:00)→抜戸岳(11:00)→笠ヶ岳山荘(14:00) |
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左足の痛みが気になったので、調子が悪ければ下山するつもりでいたけれど、幸い痛みもそれはど大したことはない。それに、笠ヶ岳の姿を見たらとてもこのまま下山する気にはなれず、予定通り笠までいくことにする。この日のコースは高低差も少ないし、しかも登りが主体で急な下りはなく、コースタイムも6時間程度なのでなんとかもつだろうという感じがする。 小屋の前で御来光を拝んだ後、6時に小屋を出る。ちょうど出発のピークに当たったらしく、笠方面に向かう人は思ったよりも多い。双六池の向こうにはこれから向かう弓折岳から笠ヶ岳へと続く稜線が見えている。未だ日陰となっている池の横を通り過ぎると、いったん緩い下りとなり、再び弓折岳へ向かう緩い登りとなる。振り返るとすり鉢状の窪地の真ん中に双六小屋と双六池が見えている。その窪地の向こうには鷲羽岳が立派な三角錐を見せている。 だらだらとした登りを登りつめ、わりとあっけなく弓折岳に着く。朝もやの名残がなんとなく残っていて、今一つ透明感には欠けるけど、あたたかな日差しが降り注ぎ、ほのぼのとした雰囲気が漂っている。槍、穂高連峰の紫色の輪郭が目の前に見える。逆光のため、それらの山々を刻んでいる岩や谷はほとんど判別が出来ず、手前の谷は未だ暗がりの中にある。前方に目を移すと、秩父平から抜戸岳へと向かう稜線が長く続いている。今日の目的地である笠ヶ岳は抜戸岳の影に隠れている。 ここからは一気に200メートルほど下り、再び昇りかえして秩父平と呼ばれる場所に出る。カール状になった草地で、コパイケイソウの白やシナノキンパイの黄色が緑の中に散らばっている。黒部五郎のカールよりも花の咲く時期が遅いようだ。秩父岩と呼ばれる奇岩がお花畑の向こうにそびえている。霧が立ちこめると、このあたりの風景は中国の桃源郷を思わせる風情がある。先ほどまでずっと見えていた槍穂高は霧の中に隠されてすっかり見えなくなってしまった。 このあたりから女の子3人のパーティーと相前後する。彼女達はテント泊りで皆重い荷物を背負っている。たぶん一人20キロ近く背負っているだろう。彼女達は九州から来ていて、もう北アルプスは5回目なんだそうである。今回は自分と同じく、折立から入って雲の平経由でここまで来たそうだ。彼女達のような女の子だけのパーティーは極めて小数派と言ってもいいけれど、こういう女の子達はえてして男を上回るガッツがあり決して侮れない。九州みたいな遠いところからわざわざテントをかついでやってくるのだから、よほど山が気に入ってしまったのだろう。好きなことを思いきりやるのは素晴らしい。やりたいことも見つけられず、世の中の流行ばかりを追っているひ弱な男どもは彼女達を少しは見習ったらどうだろう。結局、こちらものんびり歩いているせいもあって、笠ヶ岳小屋まで彼女達とはほとんど同じペースで抜きつ抜かれつしながら歩くことになった。最後にテントサイトで会ったときに簡単な挨拶を交わしたぐらいで、あまりお話しができなかったことがちょっぴり心残りだった。 抜戸岳まで来るとあたりはもうすっかり霧がかかり、周囲の山々は何も見えなくなった。抜戸岳のピークは2つあり、どちらが高いのか良くわからなかったけど、人が集まっている方を避け、人の全くいない方の頂上で昼食をとった。谷底から白いガスが吹き上げてきて、ちょっぴり寂しい雰囲気の中での昼食となった。 ここまで来ると笠ヶ岳まではすぐだった。途中、抜戸岩と呼ばれる岩の割れ目を通り過ぎた。最後の登りを残すだけのピークに達したとき、立ちこめていた霧がすうっと消え、笠ヶ岳がその全貌を現した。頂上から左側の緑笠と呼ばれるピークまでカール状の窪地が弧を描いており、その弧の下には小豆ほどの小さな池が見えていた。予想を越えたスケールの光景で思わず息を呑んだ。しかし、その姿も再び湧いてきたガスの中に一瞬にして消えさった。 最後の登りもたいしたことはなく、ガレ場の真ん中に建っている笠ヶ岳山荘に着いたのは14時になったばかりだった。頂上まではすぐだったけど、翌日の楽しみをとっておくために今日の登頂は取りやめにした。夕食まではまだかなり時間があったので小屋の裏手の小笠と呼ばれるガレ場のピークに登り、今回の山旅の最後の夕暮れをビールを片手にのんびりと過ごすことにした。 |
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8月17日(土): |
8月17日(土):笠ヶ岳山荘(4:30)→笠ヶ岳(4:45)→笠ヶ岳山荘(7:00)→新穂高温泉(13:30) |
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薄明が始まると小屋の中がざわざわとしだす。御来光を頂上で見ようとする人達が支度を始めたのだろう。でも、時計を見るとまだ4時をまわったばかりでまだ日の出にはまだ時間がある。ここから頂上まではわずか15分なので何もそうあわてることもない。日の出の時刻は5時15分頃。5時に出てもまだ間に合うはずだ。そう思いつつ、しばらく布団の中にもぐっていたけれど、いったん目が醒めるとそう簡単には眠れない。再び眠りにつくと寝過ごしてしまいそうだ。そう快適とはいえない山小屋の中にいつまでもいても仕方がないので、少し早めに出発することにする。 小屋を出ると空はうっすらと明るくなっているものの、ガレ場につけられたペンキの印を照らし出すまでには至っていない。歩くのにはまだ明かりが欲しい感じだ。何人もの人が出発しようとしていたところだったので、その集団の中に入っていく。ぞろぞろと連なって岩の上につけられた道を歩く。後ろを振り返る余裕もなく黙々と歩いたのであっという間に頂上に着いてしまう。 山頂にはもう既に10人以上の人がいた。槍のあたりがかなり明るくなってきたので、人の比較的少ない場所を選び、あわてて三脚を立てる。ひょっとすると槍の穂先からの日の出が見られるかもしれない。空はいったん少しずつ赤味を増したけど、日の出の時間が近づくと明るさと引き替えに赤味の方は少しずつ薄らいでいった。 太陽は槍が岳と大喰岳との鞍部から上がった。穂先からではなかったけれど、それでも美しい御来光だった。槍穂高のシルエットが赤い光をバックに浮かび上がっていた。太陽が少しずつ高度を増すと、槍との間を隔てている谷に光の筋を落とし始めていった。雲がその谷と反対側の飛騨方面の谷を埋めつくしていた。焼岳がはるか下の方に甲のような赤い姿をさらしていた。その右手後方には乗鞍と御岳が緩い円錐形の姿を見せていた。頂上は大勢の人で賑わい素晴らしい景色に歓声が上がっていたけれど、日が上がってから30分も経つと少しずつ減り始めた。改めてあたりを見渡すと、谷を埋めていた雲が少しずつ消え既に先ほどの半分ほどになっていた。光がだいぶ高くなり、周囲の山もくっきりと浮かび上がるようになっていた。水晶岳がいっそう高くそびえている。遠く、立山、剣、白馬連山等も望むことが出来た。意外だったのはここからの黒部五郎が思ったよりも貧弱に見えること。ひいきしている山だけに少しがっかりした。誰かが新穂高温泉がほとんど真下に見えますといったので、下に目を移すとなるほどその表現は大げさではなく、はるか下に望むことが出来た。今日はこれからあんな所まで下らなくてはならないのだ。 景色の変わり行く様を眺めていると、あんなにたくさんいた人々も自分ともう一人を除いてすっかりいなくなってしまった。その人は後から来たのでこんなに長い間山頂にいたのは自分だけだ。といってもたったの2時間だ。皆、意外とせっかちなのには驚いてしまう。持参したガスバーナーでお湯を沸かし紅茶を入れる。山で飲む紅茶の味はまた格別だ。こころゆくまで周囲の展望を楽しんだあと、ほとんど人気のなくなった静かな山頂を後にした。 山小屋で再び重い荷物をしょった後、抜戸岳直前の鞍部まで前日通ってきた道を引きかえした。前日とはうってかわって雲一つない快晴。でも、あまり天気が良すぎると景色はかえって単調になる。光線がまんべんなく当たりすぎて山肌に陰影がなくなってしまうからだ。適度に霧が出ていた方が距離感も出る。笠ヶ岳もあまりに良くみえすぎてのっペらぼうだった。霧がかかっていた昨日の姿の方がはるかに印象的だった。 鞍部に到達し、ここで笠ヶ岳の稜線と別れる。カールの底へは足場の悪いかなり急な道をジグザグと下る。あっという間に底まで達してしまう。緑の中に映えるシナノキンパイの黄色が目に眩しい。振り返ると、一面のお花畑のなかを先ほど通ってきた道が空まで続いている。空はインクの色かと見がまうばかりの青さだ。ここは丁度カールの窪みの中心になっている。取り囲む山々が集音効果を生み、後ろから歩いてくる人の声が恐ろしく良く聞こえる。声の良い人が歌を歌ったらどんなに素晴らしく響くことだろう。さらにカールを下り杓子平と呼ばれる草地まで下る。カールを形作る一方の尾根に遮られていた笠ヶ岳も、ここまで来ると再び頂上がスパッと切れた特異な姿を現している。 ここからは、じりじりと照りつける日差しの中、新穂高温泉までの一気の下りである。潅木の中を行くけれど、意外とまばらなので日差しを遮るまでには至らず、蒸し暑い中の苦しい下りとなる。道は尾根の側面にジグザグに付けられていて、歩けども歩けども高度が下がらない。おまけに、激しい下りのおかげで左膝の痛みが再びひどくなってくる。とばしすぎもかなり膝にこたえているようだ。後半はがくっとペースが落ちてしまう。昼過ぎに着けばいいと開き直って、無理しないで休み休みいくことにする。これでもかというくらい下ったあと、ようやく木陰の中に入るようになる。暑さをしのげる点ではかなり助かったけど、今度は木の根を越えなければならないのがわずらわしい。膝の痛みもかなりひどくなってきた。谷向かいの尾根よりも低い地点まで下がっても、まだまだ遠くに見える谷底までの距離が恨めしい。 沢の音が高まり、林道にかかる橋が見える地点まで来ると、このルートで初めて湧き水が出ている場所があった。冷たい水を手ですくって飲むと膝の痛みも若干やわらいだような気分になった。黒部川の水とは味が明らかに違う。あちらはいかにも山の水らしい硬い水だったけど、こちらの方がくせがなくやわらかい。喉の乾きをいやしたあと、最後のつめに入る。ジグザグの道が終わり、勾配も平らになるとようやく待ちこがれた林道に出た。とにかく日陰で休みたかったので、林道にかかる橋の下でしばらく休息をとる。 そこから先は砂利じきの単調な林道歩き。こういう道は歩くのには全く適していない。砂利がゴロゴロして歩きづらいし、木を伐採して道を開いているので日差しを遮る木陰もない。少しでも早く目的地に到達しくつろぎたいので足早に歩く。しかし、そのような単調な道は延々と続いている。前後する他の登山者も同じ思いらしく、皆、相当なスピードで歩いている。大きくS字のカーブを曲がるとようやく様々な建物が見えてきた。約一週間ぶりに見る人が築いた本格的な構築物である。 左手にロープウェー乗り場を見るようになり、両側には温泉街の建物が並んでいる。コンクリートの四角い建物、アスファルトの硬く平坦な道路、ぴかぴかに磨かれた乗用車、山の中にいるのにもかかわらずほこりひとつついていないこぎれいな格好をした人々、そういったものがひどくじゃま臭く感じられた。自分にとってはここは既に都会と全く同質の場所だった。なのに、ここを訪ねている多くの人はここを大自然と勘違いしているのだろう。管理され快適性が保証されたような空間はいくら景色が素晴らしくとも大自然であるとは言えないのに。 そう思うと、大自然を経験しようとせず、まがいもので満足してしまう人が多いことに対する残念な思いと自分自身の満足感とが複雑に交錯した。振り返ると首が痛くなるはど高い位置にさっき通ってきたばかりの笠ヶ岳から抜戸岳に至る稜線がそびえていた。 バスターミナルに来るともはや完全な現実の世界へと戻った。お盆休みの土曜日なので、もたもたしていると東京まで帰りつけなくなってしまう。バスを予約した後、バスターミナルにある無料の温泉につかり、いままでの長い山旅の汗を一気に流す。最近は山懐の温泉でも高級化が進み、登山者が気安く入れる温泉が減っているので、こういう温泉の存在は有り難い。バスが出るまで余り時間がないので、大急ぎで体を洗う。外へ出ると、予約してあったバスがまさに出発しようとしているところだった。 |
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山から降りて一週間が過ぎた。運動不足とハードな行程がたたって、全身がまだだるい。筋肉痛はようやくおさまりつつあるけれど、荷物の後片づけもまだ済んでいない。洗濯物は部屋の隅に積まれたまま。山道具も出しっぱなしの状態だ。(1992/8/28〜9/12、2002/4/27校正) |
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8月20日(木): |
上高地(12:20)→徳沢(14:00)→横尾(15:00)(泊) |
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みやげもの店が軒を連ね、客引きがうるさくつきまとう。そんな光景を想像していたけれど、上高地は思ったより落ち着きのある場所だった。梓川の流れがすがすがしく、周囲に立つ木立が若草色に染まっている。正面には穂高の山々がでんと控えている。思ったよりもこじんまりとしているので、見た感じでは簡単に登れそうだった。 バスターミナルを離れると、樹林帯の中の道となる。静かで気持ちの良い道だ。観光地だけあってアベックや家族連れがたくさんいる。明神を過ぎるころから、それらの人々は少なくなり、次第に登山の領域となってゆく。明神岳の岩峰が左手ににょきにょきと立ち、進むにつれて次第に姿を変えていく。このあたりの谷は山深いところには珍しく、広く、浅い。白い河原に緑の木々が立っている姿はなかなか絵になる風景だ。 足早に歩いたので横尾には予定よりも早く着く。槍沢まで行こうかそれともここで泊まろうか、おやつなどをかじりながら考え込む。上空に広がる黒い雲が結論を出してくれた。夕闇迫るころ、案の定ぱらぱらと降り出した。明日のことを思うとちょっとばかり憂欝だけど、予報では明日は晴れると言っているから、まずは大丈夫だろう。 |
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8月21日(金): |
横尾(6:00)→槍沢ロッジ(7:25)→殺生ヒュッテ(12:40)槍ヶ岳山荘→(13:40)→槍ヶ岳往復→槍ヶ岳山荘(16:30)(泊) |
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目が覚めると、雨がシトシト降っている。夜中に起きた時には止んでいたのに、明け方になって再び降りだしたようだ。雨ならば、そう急いで出発することもない。今日は槍ヶ岳までの行程で、時間は十分あるからだ。ラジオをつけると、予報でははれ時々くもりと言っている。どうやら昨日の雨が今朝方まで残ってしまったようである。朝ごはんを食べているうちに、少しは小降りになり、空も明るくなってくる。まだ、雨は少し残っていたけれど、止むのを待たずに出発することにする。 雨の登山はうっとおしい。ぎらぎらと照りつける日差しもうっとおしいけれど、雨はそれ以上に不愉快だ。すぐ上がるだろうと高をくくって、雨具を身につけなかったのが災いする。体が少しずつ濡れはじめてくる。かっぱを出そうかどうしようかと迷っているうちに、次第に小降りになり雲の切れ目も見えるようになる。一の俣の分岐を過ぎ、槍沢ロッジに近づく頃になると、雨は完全に上がり、薄日も射してくる。 槍沢ロッジは丁度出発の時間帯だった。そこから、いくつものパーティーと相前後しながら歩くことになる。階段状の坂道となり、ジグザグと高度をかせいでゆく。木々が低くなるにつれ、次第に視界が開けてくる。途中で槍の穂先が一瞬だけ見えたけど、随分遠いので、槍まで来たという実感はまだ沸いてこない。 潅木帯を抜けると白い河原に出た。この辺りは槍沢といい、潅木が立ち並ぶ美しい沢だ。顔を洗うと水の冷たさが肌を刺す。気持ちの良い場所なので思わず長居をしてしまう。 沢は次第に急傾斜となる。それに伴って足どりもだんだん重くなる。立ち止まって振り返ると蝶ヶ岳が高くそびえている。しばらく歩いた後再び振り返っても、さっきと同じ高さのままである。ずうっと上に人が休んでいる地点が見え、そこを目標として歩くことにする。お花畑を抜け、草付きの斜面をよじ登る。ようやく辿りついた場所は、カールの底となっていた。槍の山頂が姿を表し、振り返ると前山の上に常念がひょこっと顔を出している。ここから見る常念はすっきりとして形がいい。 山小屋はすぐそこに見えるのだけど、実は、そこからが大変だった。傾斜はますます急になりカールの壁を登るようになる。運動不足がたたって足が前に出ない。背中の荷物が肩にくい込む。はあはあぜいぜい息が切れる。数十歩進むたびに立ち止まって休む羽目になる。歩くスピードが加速度的に落ちていく。最後の何回かの折り返しは曲がるたびに膝に手をやってしまう。後ろから、女の子の2人連れが追ってくる。女性に抜かれるのはちょっぴり格好悪いので、最後は気力をふりしぽって歩く。コースタイムはだいぶオーバーしたものの、へばる前にはどうにか小屋に辿りつくことができた。 テントを張って寝床を確保すると少しは元気が戻ってきた。雲の間に見えかくれする山頂を見ていると、しだいに登ってみたいという気持ちが強くなってきた。日没までにはまだ随分時間があったので、今日のうちに山頂を往復しておくことにした。一見すると登るのは大変そうだったけど、見た目ほどではない。右側から回り込み、最後の手がかりをよじ登ると山頂に出た。 思ったよりも広い。碑や山名を示したものはいっさいなく、気持ちの良い山頂だ。谷底から雲が次々と沸き上がり真横をかすめていく。周囲の山はほとんど見えなかったけど、時折、雲の切れ目から三俣蓮華方面の稜線を垣間見ることができた。 テントに帰り、食事の支度をしているとまたもや雨が降りだした。明日のことを思うと気が重い。どうかお天気になりますように。祈る思いで寝床に着く。 |
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8月22日(土): |
槍ヶ岳(7:00)→大喰岳→中岳→南岳→南岳小屋(9:30)→北穂高小屋(12:50)→北穂高岳→涸沢岳→穂高岳山荘(16:00)(泊) |
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テントをたたく音が、時には小さくなり時には大きくなりながら、夜どおし続いている。雨。忌まわしい雨。夜明けを迎えても、雨はついに治まることはない。予報では、北陸方面の天気の回復が遅れているとのことだった。昨夜の話とは全く違う。明日は絶好の登山日和になると言っていたのに。何だか詐欺にあった気分になる。雨の中、重い荷物を背負っての岩場の登降。考えただけでも気が重い。 大天井ヘコースを変えようか。あっちはなだらかだから穂高に行くよりは少しは楽だろう。それともいっそのことさっさと下山してしまおうか。今日山を降りてしまえば、明日はフリーマーケットが待っている。田賀や大熊さん達とフリーマーケットで品物を売っている光景が目に浮かぶ。ずぶぬれの山登りとどっちが楽しいの。誘惑の声が次々と聞こえてくる。 食事の支度をしながらそんなことをあれこれと考える。だけど、次々に穂高に向かう人達の姿を見ていたら、自分の気持ちもいつの間にかそっちへと向かっていた。 小降りになるのを見計らい、すばやくテントを撤収する。便所に行く間、うかつにも、ザックのカバーをかけずに出しっぱなしにしておいたのが失敗だった。帰ったら、突然の雨でびしょびしょに濡れていた。めんどくさがると山ではろくなことが起こらない。 南岳小屋まではそれほど大きなピークもなく、若干の登降を繰り返しただけで意外とすんなりと着いた。雨は降り続いて全く止む気配がなかったが、このペースなら最低でも北穂高までは行けそうだ。小屋はこぎれいで土間に休憩用の椅子も用意されている。体が暖かい飲物を欲していた。コーヒーの温もりで体の中を温めた。下界では毎日いやというほど飲んでいるコーヒーがこんな時には魔法のような飲物に感じられた。再び外に出ると、冷たい雨が待っていた。暖かいコーヒーと冷たく重いザックの落差。しかも、これから急な岩場が待ちかまえている。せめて天気だけでも回復して欲しいと願う。もう、こうなったらやけくそだ。半ば開き直った気持ちで穂高へと向かう。 小屋からは急な岩場をどんどん下ることになる。キレットの下りだ。要所には梯子等がかけられており、ゆっくりと確実に進めば、それはど危険はない。だが、下った分のつけがあとで回ってくることを考えると、下りもあまり歓迎できるものじゃない。雨の日は濡れた岩に足をとられないように、慎重に行動することが要求される。だが、人が少ない分すれ違いには気を使わなくて良く、後ろから来る人のプレッシャーも感じなくて済む。下が見えない分、高度からくる恐怖感もない。雨の日だから良いこともあるのだと考えると、こんな日も捨てたもんじゃないと少しは明るい気持ちになってくる。幸い、雨も次第に小降りになってくる。 キレットを過ぎると今度は登りになり、ナイフの刃のように切り立った尾根を上下する。文字どおりの痩せ尾根で、右も左も谷底まで切れ落ちている。こんなところで足を滑らしたら谷底へまっさかさまだ。直立する巨大な岩。崩れ落ちないのが全く不思議だ。いや、いつかはきっと崩れる運命にあるのだろう。自分が通過するまではどうか崩れませんようにとお祈りをする。長谷川ピークと呼ばれる岩峰を越えると、絶壁の右側を巻くようになる。飛騨泣きとは良く名付けたものだ。横向きになって歩かなければいけない箇所もあり、かなり緊張する。足場や手がかりはきちんとしているけれど、たまに抜けそうな岩もあるので、しっかり確認しながら進まなければならない。 北穂高手前の急登は辛かった。先ほど下った分と同じだけ登らなくてはならないのだから当然だ。ほとんど垂直な壁をよじ登るようにして登って行く。自分の体の保持にも気を使うけど、後の人のことも考え、浮き石を落とさないように気をつける。一回だけ不注意から小石を下に落としてしまった。コーン、コーンと音を立てて岩場を石が落ちてゆく。「気をつけて〜」と叫んだが、幸い誰にも当たることなく、谷底へと消えていった。最後の急登を登ると、北穂の小屋はとんでもない崖の上に建っていた。ずぶ濡れの疲れきった身にとって、この小屋は別天地だ。外には椅子やテーブルが並べられ、雨をよけるためのシートが頭上に架けられていた。 荷物を降ろしたとたん、雨が一段と激しく降ってきた。時間はまだ早いけど、先を諦めここで泊まることにした人もいた。自分も今日はここで泊まろうか。誘惑が頭をよぎる。食事をとりながら、空模様とにらめっこをする。だが、ここまで来て、奥穂へ行かないなんてなんだか負け犬のように思えてきた。さんざん濡れてしまったのだから、この先少々濡れても大差はない。現金なもので、満腹になると元気も出る。雨も少しは小降りになってくる。もう先へ向かうしかない。気持ちを奮いたたせて奥穂方面へと出発した。 北穂のピークを過ぎると、しばらくは平凡な岩稜帯が続く。実は結構急なんだけど、キレット、飛騨泣きと難所を通過してきたので、そう大変とも思えない。でも、細かいアップダウンが増え、次第に本領を現してくる。疲労の蓄積した身にはずしりとこたえる登降だ。偽のピークに何度もだまされ、2時間もかかってようやく潤沢岳にたどり着いた。晴れていれば、北穂から穂高岳小屋まで1時間半で行くそうだから、やっぱりかなり遅いペースである。 雨はまだ降り続いていた。展望もないので、そそくさと小屋へ向かう。そこから小屋まではすぐだった。まさに濡れネズミ。もちろん、雨具で完全武装はしていたけれど、汗だか雨だかで体はぐっしょり濡れていた。小屋は山小屋特有の狭苦しい感じがなく、暖かく、広々としていて気持ちが良かった。ロビーもあり、テレビまで置いてある。山の上ホテルといった雰囲気だ。奥に食堂が見え、夕飯の匂いが漂ってくる。先着の人達がその匂いをかぎつけ、まだかまだかと首を長くして待っていた。小屋の食事は暖かくボリュームもありそうだ。暖かい小屋、暖かい布団、暖かい食事。すぐ横にこんな別天地があるのに、寒い戸外に自力でテントを設営し、粗末な食事を作り一人で泊まらなくてはならないのはわびしかった。 テントを張りおえ、食事を済ますころにはすっかり雨は上がっていた。気がつくと西の空が赤く染まっている。天気には何回も裏切られたが今度こそは大丈夫そうだ。そう思うと、疲れも徐々に癒されていった。 |
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8月23日(日): |
穂高岳山荘(6:10)→奥穂高岳(7:00)→妃美子平(8:40)→前穂高岳(9:10)→妃美子平(10:00)→岳沢ヒュッテ(12:00)→上高地(14:40) |
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湿った寝袋は寒かった。少しでも暖かくなるように、体を折り畳むようにして横になった。夜半からは風が吹き初めバタバタとテントを鳴らしていた。前日までの雨の音とは明らかに違っている。この風で雲もすっかり吹き飛ばされてしまうことだろう。 外は真っ闇だが、回りが少しずつざわざわとし始めた。時計を見るとまだ3時半である。頂上で御来光を望もうとするグループが、早立ちの支度を始めたのだろう。晴天のなによりの証拠だ。再びうつらうつらしていると、次第に外が明るくなってきた。そろそろ支度を始めようと思うんだけど、前日までの強行軍がたたったのか頭痛がする。起きあがろうにも、なかなか起きあがれないので、もうしばらく横になっていることにした。 東の空が赤く染まり出すと、小屋の外は御来光を見ようという人達で賑わってきた。天候は回復したのに、今度は体調が悪くなるなんて全くついてない。だが、とにかく今日は自分の足で下界まで歩いて降りなくてはならない。自分のテントは小屋から一段高いところに張ってあり、360度見晴らしが良い。テントの中に居ながらにして御来光が眺められるように、あらかじめ東向きに張っておいた。朝食の支度をしながら、日が上がるのを待つのは実にいい気分だった。 周囲の山々は次第に明るく変化し始めたけれど、谷底はまだ闇の中。頭上はまさに雲ひとつない青空。常念山脈の青紫のシルエットの上から今までの苦労を忘れさせるような素晴らしい太陽が上がった。目を転じると、奥穂の斜面を出発の人波が次々に上がっていくのが見えた。自分も出発の準備をしたいけど、頭が痛いのと体がだるいのとで、思うように作業が進まない。ひょっとしたら、風邪がぶり返してしまったのだろうか。そうだとしたら無理はできない。でも、こんなに天気が良いのだから、行けるところまでは行ってみよう。もう、どうにでもなれという気分でテントをたたむ仕事に取りかかる。 奥穂への登りはいきなりの急坂で始まった。朝一番の登りは息が切れる。途中で何人にも追い越される。でも、あまり気にしないでマイペースで登ることにする。背後に見える潤沢岳がどこまで登ったのかの高さの目安になる。あっと言う間に潤沢岳を見おろす高さになる。次第に槍の穂先が姿を表し、後立山の山々も徐々に頭を持ち上げてくる。素晴らしい景色に囲まれていると、頭痛はいつのまにどこかへ吹っ飛んでいる。体のだるさもなくなってくる。全く、現金なものだ。これなら、今日一日は快調に過ごせそうだ。右手から大きく回り込み、ジャンダルムが見えるようになると頂上はすぐそこだ。 頂上は以外に狭く、多くの人でごった返していた。昨日歩いた稜線が光を浴びてくっきりと見える。その向こうに槍がすっと立っている姿が印象的だった。振り返ると、新穂高の谷をはさんで笠が岳の弧高の姿がある。双六、三俣蓮華、黒部五郎、水晶等の山々も一望のもとだった。それらは、去年縦走したなつかしい山々である。 思う存分展望を楽しんだ後、前穂へと向かう。吊り尾根は遠くから見ると緩やかに見えたけど、実際は細かい起伏がかなりある。後立山の五竜から鹿島槍の間に良く似ている。大集団が先行していて騒々しかったが、途中で追い越してからは静かな尾根歩きとなる。さっきまであれほど良く見えていた前穂の頭が次第に雲の中に隠れてゆく。少々のアップダウンの後、多くの人でごった返す紀美子平に到着する。 前穂の登りは急だったが、空荷なのであっと言う間に頂上に着いた。梓川からガスが次々に吹き上げてくる。ガスに隠され常念山脈は全く見ることができなかったが、奥穂から北穂にかけての稜線は時折姿を現していた。ここからの奥穂はどっしりとして主峰の風格が漂っている。 紀美子平まで引き返し、稜線に別れを告げる。足元のカールの底に岳沢が見える。まさに真下という感じ。道があることを知らなかったらまさかあそこに降りるとは思わないだろう。いきなり鎖を伝った急降下が始まる。ザレた場所もありいやな下りだ。しばらく降りると雷鳥の親子に出くわした。思ったよりも小さい。生まれて初めて見る雷鳥だけど、やはり雷鳥には霧の中の方が良く似合う。炎天下でみるペンギンが冴えないのと同じように、晴天の下でみる雷鳥は、ちょっぴり冴えない鳥でしかない。 岳沢はあざやかな木々に囲まれた、静かな場所である。山小屋の周囲にはベンチやテーブルが置いてあり、休憩にはうってつけだった。ここでのんびりと穂高連峰を眺めながら過ごすのも、なかなか良さそうだ。だが、残念なことにこの時、穂高は雲にすっかり隠されてしまっていた。 上高地への下りは意外と長かった。樹林帯特有の蒸し暑さがうっとおしかった。道は次第に平坦になり、終点が近いことを予感させた。林道へ出るとそこは既に観光客の世界だった。上高地まではまだ少しあるけれど、ここが自分の山登りの終点なのだという感慨があった。傍らの流れでのどを潤し、顔を洗い、体を拭き、服を着替えると、爽快な気分に浸ることができた。 パスの出発までにはまだだいぶ時間があったので、ビールと鱒寿司をぶら下げて梓川のほとりへと向かった。流れを前にして今辿ってきたばかりの穂高の山並を眺めていると、何だかここ数日の時間がいっペんに引き延ばされた感じがした。今日の朝のことが昨日の朝のことのように思われ、雨に濡れながら歩いたのは数日以上も前のことのように思われた。都会では歩くという行為は単に地上をなめるように移動する行為に過ぎない。山ではむしろ刻むという感覚に近い。傾斜の度合いに応じて、表面の状態の違いに対応して、荷物の重さや体調なども考えて、一歩一歩を慎重に刻まなくてはならない。その歩みは決して均質ではなく、様々な条件に応じて次第に性質を変えてゆく。その変化の度合いの激しさが、引き延ばされた時間の基になっているのだろうか。 今度はぜひ晴れているときにキレットを越え、高度感や景色を満喫したい。そんな思いを抱いて上高地を後にした。 P.S.:今朝(9月7日)の新聞を見たら、槍ヶ岳山荘でアルバイトをしていた学生が北穂の谷で遺体で発見されたと報じられていた。8月20日に小屋を出て、そのまま家へ帰るつもりだったということだから、たぶん尾根から転落したのだろう。20日といえば、丁度僕が山に入った日だ。あの日も雲はかなり出ていたので、山の上は雨が降っていた可能性もある。濡れた岩場で足を滑らせてしまったのだろうか。楽しいはずの山小屋での暮らしが、こんな形で奪われてしまうなんて気の毒というより他はないけれど、夏山でもこんなことが起こるなんて、やっぱり山は恐ろしい。 |
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私の経験ではほとんど唯一と言っていい雪の日の登山。冬山に魅せられる人の気持ちがちょっぴり分かったような気がした。それにしても無事で良かった。(1992/9/29〜10/4、2002/4/27校正) |
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9月26日(土): |
室堂(11:45)→雷鳥平(12:15)→別山乗越(13:30)→剣山荘(14:00) |
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起きて外を見ると、雲が低く垂れ込め雨のちらつくいやな天気だ。天気予報でも今日一日ぐずついた天気になると言っている。昨日の酒も少し残っているし、山登りなんか止めてさっさと帰ってしまおうかとも思ったけど、徐々に回復に向かうということだったので、その見込みに賭けてみることにする。 立山で車を降り、そこから美女平まではケーブルで一気に高度をかせぐ。美女平からはバスに乗りかえる。このあたりはすでに標高1000mを越えており、空気が肌寒い。バスは最初ブナの原生林の中を行く。少しずつ高度を上げるにつれ、次第に立山杉の立派な森に変わってゆく。怪物のような風体と際だった太さが印象的だった屋久杉に対し、立山杉は太さはそれほどでもないかわりに高さが際だっている。杉だけが森の天井を突き抜けて林立しているのは不思議な光景だ。バスはつづら折れの板道を折り返しながら少しずつ登ってゆく。あたりは霧が立ちこめており、眺望は全くない。残念ながら称名ノ滝も見ることはできなかった。樹木のせいが低くなってくると、赤いものもちらはらと混じるようになる。このあたりは標高1500m位なので紅葉はまだ先だと思っていたが、意外と早いのでびっくりする。今年は冷え込みが早いのだろうか。 弥陀ヶ原まで来ると、まさに紅葉の真っ盛りだ。広い原に真っ赤な葉が点々としていた。こんな見事な紅葉を見たのはあまり記憶にない。タイミング良く霧が晴れ、大日岳の斜面までオレンジ色に染まる壮観な風景を見ることが出来た。この風景をカメラにおさめようと大勢のアマチュアカメラマンが繰り出していた。室堂では立山が出迎えてくれた。屏風のように立ちはだかるこの山はいつ見ても素晴らしい。秋の立山は夏とは違った静かな趣がある。 乗り物の描写が長くなってしまったけれど、3000mの山に登るのに2500mまで乗り物を使うのだから、話が長くなるのもやむを得ない。昔はここまで歩いて登ったのだ。確かに大変なことには違いない。でも、苦労して登ってきて、この原を見たときの感動は今とは比較にならないだろう。実はその方が幸せだったのかもしれない。 いよいよ、ここからが本当の登山だ。最近は一人で登ることが多いけど、今回は山田君と一緒である。今までも一緒に登ったことは何回もある。でも2人だけで登るのは始めてだ。みくりヶ池、地獄谷などを横目に雷鳥沢へと向かう。このあたりは完全な観光名所で、遊歩道がはりめぐらされている。右に立山、左手奥には大日連山、後ろには浄土山が眺められ、散歩気分でも歩ける道だ。前方にはこれから登る雷鳥板が見えている。1時間もあれば登れそうな感じがする。 いったん雷鳥平まで下り、再び雷鳥坂の登りに取り付く。山田君がこれがクロマメの木の実だよと教えてくれた。口に含むと少し苦みのある甘い味がした。ジグザグに高度をかせいでいくうちに雲行きがあやしくなり、小粒の雨が降ってきた。コースタイムでは1時間50分となっていたが、見た目の方が正しく、下から1時間で乗越まで来てしまう。晴れていれば、ここで剣方面の視界が一気に開けるのだけれど、白い霧に包まれ、何ひとつ見ることはできない。 小屋までは剣御前をトラパースしながら緩やかに下る。雨で視界が全く利かないのでただ黙々と歩くしかない。駆け足で歩いたので予想よりもだいぶ早く山荘に着いてしまった。 |
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9月27日(日): |
剣山荘(7:15)→前剣(8:30)→剣岳(10:30)→前剣(12:30)→剣御前(14:00)→別山乗越(15:15)→雷鳥平(16:30)→室堂(17:00) |
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朝起きると、外は一面の雪景色。天気は徐々に回復に向かうということだったけど、すぐにすっきりと晴れるという感じではない。山小屋の主人が、日が当たって雪が融けるまで出発は見合わせるようにと言っていた。朝方は雪が岩に凍り付いて大変危険な状態だというのだ。夏山装備の人は登らないようにとの注意もあった。我々は完璧な夏山装備だったので、自分はどちらかというともう諦めて帰りたい気分だった。でも、山田君は引き返すなどということは毛頭考えていないようだ。 1時間ぐらい様子を見るけれど、時折、少し明るくなる程度ですっきりと回復に向かうという感じではない。雪は相変わらず降り続いている。時間的なことを考えると、本峰へ登るのならそろそろ出発しなければならない。とにかく行けるところまで行ってみようということで出発の準備に取りかかる。 出発してはみたものの、ひどく不安だった。雪山の経験なんてほとんどないからだ。3月の丹沢や三ツ峠は高校時代に経験しているけれど、いずれも比較的なだらかなで危険のない道だった。今回は岩山である。雪の着いた岩を果たして無事に登ることが出来るのだろうか。山では引き返す勇気も必要だ。今こそ引き返す勇気が必要なんではないか。山田君は大丈夫だと言うけれど、彼は山小屋の息子。彼が大丈夫でも自分は大丈夫とは限らない。自分のことはあくまで自分で判断しなくてはならない。とにかく、マイペースで行けるところまで行き、ダメだと思ったらいつでも引き返そう。そう心に言い聞かせ、出発する。山田君はすたすたと先に歩いて行ってしまうが、自分は足元を気にしながら慎重に歩かねばならない。彼との差があっと言う間に開いていってしまう。 一服剣からはいよいよ稜線歩きとなる。相変わらず雪はちらついていたけれど、これ以上悪化することはなさそうだ。でも、すぐに回復する気配もない。せっかく来たのだから、少なくとも前剣までは行ってみようということになった。いったんコルまで下り、再び登りとなる。足をすべらさないようとにかくそれだけに気を使う。雪の岩場というのはなかなか幻想的な風景だ。でも、そういう景色を楽しんでいる余裕などない。時折現れる急に切れ落ちた部分や岩場にさしかかると特に神経がすり減らされる。 前剣に着くと、たった今、剣を往復してきたばかりの登山者に出会った。ここから先はますます厳しくなるという。特に、何カ所かある難所は雪が凍り付いてかなり危険な状態だと言う。それを聞いて思わず後込みしてしまう。俺はやっぱり止めとくよとつい弱音を吐く。でも、一歩一歩ゆっくり確実に進めば大丈夫でしょうというその登山者の言葉を聞いたら、ここで引き返すのはなんだか負け犬のようにも思えてきた。結局、無理をしないで行けるところまで行ってみようという山田君の提案を受け入れることにした。でも、この時点で途中で引き返すことなど、もはやありえないことは目に見えていた。 とにかく、山では一歩の意味が下界とは全く異なっている。今回のような雪の岩山ではなおさらだ。下界では歩くという行為は無意識的な行為だ。でも、ここでは一歩一歩に全神経を集中しなくてはならない。どの一歩もおろそかにはできない。一歩間違えば本当に死んでしまうのだ。 まず手始めに鎖のかかる一枚岩を慎重に下る。危ないから鎖がかかっているわけだけど、鎖があるといっても安心はできない。しかし、ないとあるのとではやっぱり大違いだ。危ないのはむしろ鎖のかかっていない場所である。下り切るとしばらくは平坦な道となり、避難小屋が出てくるといよいよ難所にさしかかる。小屋の裏手に廻るといきなり垂直に近い岩場になっている。鎖はかけられているものの、足場がすべりやすいので極めて危険な状態だ。足をすべらしたらその勢いで手まで離れてしまうかもしれない。そのまま谷へと落ちてお陀仏だ。おまけに、途中で道を間違え、ルートでないところを登ってしまった。登りはまだ良いのだが、戻るのがまた大変だった。 ルートは安全度の高いところを縫ってつけられている。ルートでない場所は、危険だし自分で足場を探さなければならない。山田君のアドバイスがあってもなかなか思うようにはいかない。雪で滑りやすくなっているほんのわずかのとっかかりに足を置くのは勇気がいる。もし足を滑らせたら、手だけで体を支えられる自信はない。正規のルートまでどうにか戻って今度は鎖場を登る。足場を確保するのには苦労したけれど、鎖がある分だけ助かった。とにかく焦らないようにそれだけを自分に言い聞かせる。難所を登りきると安堵感で胸の中の空気がすうっと抜けていった。 そこから先は比較的容易な道だった。大きな岩がごろごろする尾根道を登りきると山頂の祠が出迎えてくれた。展望は全くなかったが、今までのどの山にも増して登頂の喜びは大きかった。途中で引き返さなくて本当に良かった。でも、喜ぶのはまだ早い。下りは登りよりも恐ろしいからだ。祠の神様に下りの安全をお願いする。暖かい紅茶は格別の味だった。こちらの思いが通じたのか、ほんの一瞬であったけど、雲が切れ、八つ峰や早月尾根の上部を望むことができた。 岩場の尾根を戻るといよいよ急な岩場の下りにさしかかる。登りと下りはルートが分けられており、下りは尾根の西北端に取られている。下りの方が登りよりもやさしい場所に取られているはずだという山田君の言葉を信用し、心を落ち着かせる。まず、鎖で数十メートルを一気に降下する。テラスに出て、そのあと、少し横に巻く部分があるのだが、そこがやっかいだった。足場はほんのわずかのとっかかりしかなく、雪がついて滑りやすくなっていた。断崖絶壁なので、落ちたらまず助からない。山田君はそこに足をかけても大丈夫だと言っているけれど、自分にはとてもそんな勇気はない。彼は行けても自分はダメということだって十分あり得るからだ。もう一つ先の足場は比較的広く安全なんだけど、そこまでは足は届かない。一回行きかけて止め、どうしようかと考える。足がガタガタ震えているのが自分でもわかる。とにかく慌てないことだけを心に言い聞かせる。山田君はいっそのこと鎖にぶら下がってしまえと言う。原則には違反しているけれど、どうもそれ以外の方法はなさそうだ。確かに足を滑らせるよりは、そのほうがまだましだ。 一瞬、足が宙に浮いたけど、次の瞬間、足が地面をつかまえた。緊張感が解けて、体の力がすうっと抜けていった。ほっとするのは禁物だけど、とにかく最大の難所は通過したのだ。そこから避難小屋まで、次々に鎖や梯子が登場した。晴れていれば、それほど危険なことはないのだろうが、梯子ひとつ下るにしても相当の緊張感を強いられた。 小屋を過ぎるとしばらくは危険のない尾根道だった。緊張感をほぐすのには丁度良かった。登りに取り付くと、再び一枚岩にかけられた鎖場となった。朝、すれ違った人によるとここが凍りついて滑りやすくなっているということだったけど、気温がだいぶ緩んだせいか、それほど危険もなく通過することができた。 前剣に戻ると困難を克服した喜びが沸いてきた。慢心は禁物だけど、恐らくもう大丈夫だという思いがあった。武蔵のコルの下りにさしかかると、我々を祝福するように、突然、前方の雲が切れ、剣御前や別山のダイナミックな姿が霧の間に浮かび上がった。それは今まで見たこともないような素晴らしい風景だった。丸くえぐられた剣沢が下に横たわり、それを取り囲む別山や剣御前が高くそびえていた。紅葉に添えられた新雪はまるで白い粉のように見え、微妙な色彩を醸し出していた。昨日泊まった剣山荘とその向こうの剣沢小屋がすぐ近くに見えたのは意外だった。と同時に、西側の雲も切れ視界が一気に広がった。早月の谷や富山の街が低く垂れた雲の向こうに横たわっていた。 一服剣を過ぎると再びガスがかかって周囲は見えなくなった。せっかくだから行きとは異なる尾根づたいの道を歩くことにした。あまり歩く人が多くないせいかハイマツが覆いかぶさって歩きにくい。おまけに雪をかぶっているので足がびしょ濡れになる。仕方なく下半身は雨具をつけて歩く。剣御前の登りはすきっ腹には少々こたえる登りだ。細かいピークがいくつもあるので、なかなか頂上には着かない。どこも似たようなピークなので、適当なところでひと休みすることにした。 本物の剣御前の頂上はそこから二つぱかり先のピークだった。展望もないのでさっさと通過する。そこから別山乗越までは快適な山上の散歩道。晴れていれば極めて気持ちの良い道なんだろうが、あいにくの霧の中。でも霧の中の道というのも幻想的で味わい深いものがある。このあたりは砂礫地で雪はほとんど融けていたけれど、ぽつりぽつりと生える草の部分だけが白くなっていたのが印象的だった。 大日岳へ向かう分岐のあたりから、雲が切れ始め、眼下に室堂の台地が姿を現した。なおも下って行くと立山や浄土山の白い姿も現れた。さらに下っていくと雷鳥も出迎えてくれた。近づいても逃げようとはしないけど、さすがにさわろうと手を伸ばすとするするっと逃げて行ってしまう。こんな近くで雷鳥を見たのは始めてだったので感激だ。 雷鳥平の手前の台地で山田君がクロマメの実を取り始めた。持ち帰ってジャムにすると言う。美香ちゃんへのおみやげにでもするのだろう。彼はあちこちへ動き回って実を集めていたが、その間の時間は自分にとっても貴重な時間だった。目の前に立山があり、光と雲の変化に伴って刻々とその姿を変えていたからだ。ここでは写真撮影に専念した。滅多に出会えない風景なので、露出を少しずつ変えながら撮った。お互い満足のいくまで取り(撮り?)終わり、出発する頃にはだいぶ日も西に傾いていた。 急がないと終バスにはあまり時間がない。すたすたと歩いて室堂へと向かう。行きと違って登りなので結構きつい。なにしろ雷鳥平から室堂までは200mもの標高差がある。室堂のターミナルヘ着いたのは5時丁度。終バスの発車まであと10分と迫っていた。 帰りの車窓からは大日岳や弥陀ヶ原の暮れなずむ風景が一望のもとに見渡された。原のところどころに生える真っ赤な木々が夕日に照らされていっそう赤く輝いている。最後に剣の姿を一目見ておきたかったけど、残念ながらついにその姿が現われることはなかった。しかし、かわりに薬師の堂々とした山容を拝むことができた。次はぜひあの膨大な山に触れてみたい。早くも次なる思いが沸き上がっていた。 |
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